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ブランダム 推論主義の哲学: プラグマティズムの新展開 単行本 – 2021/5/25

4.6 5つ星のうち4.6 16個の評価

プラグマティズムの向こう側へ!
‟言葉の意味は推論が果たす役割で決まる”という「推論主義」の立場を打ち出したことで、プラグマティズムの議論をリードする、アメリカの哲学者ロバート・ブランダム(1950‐)。壮大な体系が醸し出す雰囲気、カントやヘーゲルをプラグマティズムに取りこむ斬新な解釈、その応用可能性などによって、言語哲学のみならず、さまざまな分野の研究者から熱い注目を集めている。議論の最前線に飛び込み、その哲学のコアにふれる、画期的入門書。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 青土社 (2021/5/25)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2021/5/25
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 338ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4791773799
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4791773794
  • 寸法 ‏ : ‎ 13.3 x 2.3 x 19.1 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.6 5つ星のうち4.6 16個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.6つ
5つのうち4.6つ
16グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2021年7月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書はR. Brandomによって提唱された推論主義inferentialismの入門書です。
この本は二つの意味で偉大な本です。
まず本そのものへの(僭越ながら)評価として、モチベーション→規範的語用論、推論的意味論→応用という構成が書き物としても推論主義の本としてもわかりやすいですね。初めて推論主義に触れる人もすんなり入れると思います。
書き方もわかりやすくて良いです。適宜具体例が提示されるところがナイスですね。このおかげで地に足のついた読解が容易になっています。
次に、これは最も強調されるべき点ですが、推論主義の入門書が日本語で読めるということそれ自体が革新的で、インフラ的な意味でとてもありがたい本です。
この本が出るまではブランダムのArticulating Reasoningの邦訳と少しの論文くらいしか日本語でアクセスできる文献はありませんでしたから...ブランダムの英語は悪魔的に読みにくい&難しいですし...
ARやMIEを読む前にこの本があればどれだけの時間や認知負荷を節約できたことか...
ブランダムの著書が獣道だとすればこの本は綺麗な舗装路です。
推論主義に興味のある方はこの本から見てみることを強くお勧めします。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年6月2日に日本でレビュー済み
ブランダムによる「推論主義」の全体像を分かりやすく紹介することを第一の目的として書かれた本で、帯にある紹介文にも「本格的入門書」と記されているが、「言語哲学や分析哲学、プラグマティズム、ドイツ観念論に関心のある哲学研究者や、他の分野の研究者にも満足できるような内容を目指した」(本書16ページ)ともあり、実際に込み入った内容にも踏み込んで議論がなされている部分も少なくない。さらに「他の分野の研究者」ともあるくらいで、哲学以外での推論主義の援用の可能性も示してくれている。

一読して完全に理解できたのかというと少々心許ないが、一貫して丁寧かつ平易な説明がなされており、この種の本でよくある「何度も読み直しながら、何とか進んで行く」ということにはならない。
分かりにくいところがあるとすると、それは様々に登場する概念の間の相違が把握しにくいことに起因する。例えば「規則主義」と「規則性主義」といった具合に、似たような概念が出てくる。もちろん、その都度に丁寧な説明がなされているが、それぞれをある程度咀嚼し、相違を理解した上で読み進めていかないと、途中で何が問題になっているのかを見失うことになる。親切なことに巻末に用語集が付されているので、その都度、ここを確認しながら読んでいけば良いと思う(「はじめに」に、混乱しそうになったら、用語集を適宜参考にして欲しいという注意書きがあるが、まさにそのとおり)。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年8月4日に日本でレビュー済み
本書は、一部で話題のブランダムの推論主義の哲学を概説した本である。
哲学の概説書だが、例などを豊富に用いているので、この類の本としては分かりやすい部類に入ると思う。

推論主義では、言葉は世界を正確に表象するものだという記述的な言語観を排し、言葉の使用を(適切さや規範の判断が伴われる)推論として捉えようとするものである。
本書では、所与の神話、クリプキ的懐疑、ローティの反表象主義(
哲学と自然の鏡 )などが主に援用されている。ただ、このあたりの考え方は、本書ではあまり言及がないものの、それより古くオースティンの言語行為論( 言語と行為 )やウィトゲンシュタインの言語ゲームなどに連なるものであり、それ自体自然であると同時に、そこまで目新しくはない。
絶対的に正しい認識やナマの世界とのつながりがあるのではなく、過去の経緯や慣習などに縛られながら意味も規範も修正を重ねていく、というホーリスティックな描像も、ノイラートやクワイン以降の立場からすると大変もっともなものである。
なお、本書では言及がなかったが、ナマの世界との接続が不可能だという点や、言語解釈において寛大さが要求されるという話は、デイヴィドソンの概念枠批判や寛大の原理(
真理と解釈 )とわりと親和的に見える。

推論主義は、コミットメントと資格という概念を導入して発話者の正当性などを判断できるようにしていること、「相手の言っていることは理解するが賛同しない」のような状況や、不適切な言語使用(「東京は京都の東にあります」「では京都は東京の東にあるのですね」という発話がおかしいと判断できる)を正しく解釈できること、「非常によくパソコン作業が進んでいるんですねえ(本音:タイピングの音がうるさいぞ)」などの皮肉が位置づけられること、などのメリットがあるようである。
これはそうなのかなと思うが、同時に、これはほとんどの人が適切に解釈できるものであり、これらをこれまで適切に解釈できていなかったのだとすれば、それはむしろ哲学者が不適切な言語の特徴づけを行っていて、そのために哲学者たちの世界(だけ?)で混乱が起きていたに過ぎないのでは、とも思わされる。

なぜこういった再帰的言及や不適切な言語使用の判断を人類は出来るのだろうか、という問いは非常に深淵かつ難しい問題だと思うが、それは哲学者が考えることによってではなく、実際の人間(乳幼児など)や類人猿の臨床実験を重ねて検討することによって解き明かされうるものだと思う。
例えば「本当は箱の中にボールはないが、彼女は箱の中にボールがあると信じている」のような再帰的推論は、心理学では「心の理論」と呼ばれるもので、乳幼児や類人猿がどのように心の理論を獲得しうる、あるいはしえないか、それは言語の再帰構造の獲得とどう関係しているか、といった研究は活発になされている(例えばトマセロの
心とことばの起源を探る など)。
本書で展開されているいくつかの問題は、自然科学的な方法によって解き明かすのが妥当な問題のように思えた。

そういうわけで、本書そのものは分かりやすくよく書かれた概説書だと思うが、同時に本書が取り上げる哲学がどのくらい斬新なのかという点と、そもそも哲学で取り組むべき問題なのかという点には疑問が残った。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ブランダムの推論主義を知るには、「第二部 推論主義の基本」から読むのがよいという著者の提案に従って読み始めたのだが、やはり第一部から始めて、表象主義的な意味論や論理実証主義などに対抗する、野心的な試みであることを理解したうえで、読み進めるのが面白い。

1.表象主義的な意味論
 意味論は伝統的に表象主義的立場をとってきた。言葉はそれが表象ないし指し示す対象や事実から意味を獲得すると考えられてきた(p.26など)。しかし、表象主義ないし基礎づけ主義は、「世界のあり方を正しく表象する」とか「表象内容そのものによって真である」といった特権的な表象が想定されている。そうしなければ無限後退か循環に陥るからだ。
 クワインの「経験主義の二つのドグマ」によれば、観察言明であっても、それ単独で真偽を判定させることはできない。その言明を含むネットワーク全体を考慮することで初めて理解可能となる。つまり、特権的表象などないということになる。
 論理実証主義も表象主義といってよい。例えば実験条件が与えられ、実験の結果が観察報告される。その言明が「それは赤い」であったとして、この観察報告は感覚経験に与えられる内容によって真であることが正当化されると考えられている。これこそ正に「所与の神話」なのである(p.248)。

2.所与の神話
 推論主義は、ウィルフレッド・セラーズの「所与の神話」批判から入るのがよいだろう(p.38など)。クワインやローティに寄り道しなくてもよいように思う。セラーズの批判は、私たちの経験に直接与えられる生のデータがあり、それらを推論抜きで意識することができ、そのことで私たちは同じものを経験しているとすることを「所与の神話」と呼んで、これを批判した。「所与の神話」は、意識に直接的に現前するものを当然とし、それを起点にしてすべての知を基礎づけようとした。
 このセラーズの「所与の神話」批判を受けて、ブランダムは『Making it explicit』や、それを解説した『推論主義序説』(春秋社)を著した。

3.自由エネルギー原理
 そして、推論というネーミングが同じばかりか、内容も類似している脳科学の分野の理論に自由エネルギー原理がある。もちろん本書は哲学解説書であって、脳科学の本ではないので自由エネルギー原理は登場しないが、自由エネルギー原理と推論主義はとてもよく似ている。
 自由エネルギー原理(free energy principle)は、カール・フリストン(Karl Friston)が創案したものである。自由エネルギー原理は脳の神経作用をベイズの定理を用いて説明しようとする。それは、ノイズを含んだ観察下で、事前情報を活用しながら、それがしかじかであると推論する過程をモデル化することである。初めは知覚の研究であったが、またたく間に感情、意思決定、習慣学習、モチベーション、アタッチメント、統合失調症、自閉症などの脳機能の研究に応用されている(乾敏郎, 阪口豊『脳の大統一理論:自由エネルギー原理とはなにか』岩波科学ライブラリー)。

4.両眼視野闘争
 ヤコブ・ホーヴィは、脳を「仮説テスター」と呼ぶことを提案する(ホーヴィ『予測する心』勁草書房 p.8など)。このような擬人化は好ましいことではないが、理解の助けになる。
 「脳は仮説テスター」を知るには、トイレットペーパーの芯を使った実験をするとよい(ホーヴィp.40-41)。トイレットペーパーの芯を二本用意する。これを右目と左目にあてて双眼鏡のようにする。右目の先には家の写真、左目の先には人の顔の写真を置き、右目は家を左目は顔が見えるようにする。さて何が見えるだろうか。
 ボトムアップ的にそれぞれの視覚情報が統合されたものが見えると思ったら、大間違い。顔が見えたり、家が見えたりする。脳の仮説テスターが顔と予測すれば顔が、家と予測すれば家がみえる。自分が意識してどちらかにすることはできない。あくまでも脳の無意識の過程で行われる予測である。
 ホーヴィはこの種の両眼視野闘争(binocular rivalry)実験を、知覚の推論説を擁護する最良の証拠であるという。なかなか面白い実験だ。

5.偉大なる哲学者たちのアイデア
 自由エネルギー原理が提示する知覚過程の分節点(乾・坂口 p.17 図4)を、過去の偉大な哲学者のアイデア(p.69-70)と、乱暴な比較であることを承知で対応させてみた。
【知覚過程】
①赤という概念(信念)が習得されている――フレーゲの「概念的内容」
 赤を認識するためには、赤という概念を習得している必要がある。
②赤ではないかという予測信号を出す
③予測信号と感覚器官からの信号の誤差を判断する――カントの最小認知単位としての「判断」
④予測誤差に基づき予測信号を修正する
⑤予測誤差が最小になり赤という認知が成立する

 以上の過程(特に④)は、マイケル・ダメットの「命題内容の理解とは、....概念の適切な適用状況に対して様々な仕方で応答し、概念適用の適切な推論的帰結を識別することに習熟すること(p.70)」というアイデアは、自由エネルギー原理が提示する知覚過程を説明しているように思えるのだが。
 例えばこう言いなおしてはどうだろう。「赤色の理解とは、赤という概念をその適応状況から得られた感覚信号に対して信号同士の差異を求めるという仕方で応答し、概念適用が適切であったこと、つまり推論的帰結が適切であったと確認することに習熟することである」と、ダメットの命題理解を赤の知覚過程に置き換えることができる。

6.理由を与え求めるゲーム
 自由エネルギー原理とブランダムの推論主義の最大の相違は、自由エネルギー原理は一人の人間と世界の関係から考察するが、推論主義は他者を不可欠な要素としている点にある(p.62)。従って推論主義は倫理的な実践ということになる。
 それはブランダムの言語哲学の規範的語用論によって考察される。理由を与え求めるゲームの中で、コミットメント(commitment)と資格(entitlement)という二つの規範的地位、そして、引き受け(undertake)と帰属(attribute)という二つの規範的態度によって分析される。

 本書はブランダム哲学の最良の道案内と言っていいだろう。分かりやすく丁寧に書かれている。それでも哲学なので難解であることは避けられない。今回は脳科学との類似点を発見したことで満足しておこう。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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