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食と文化の謎 (岩波現代文庫 社会 46) 文庫 – 2001/10/16

3.7 5つ星のうち3.7 27個の評価

食物生産システムからみた食文化論
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2001/10/16)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2001/10/16
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 393ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4006030460
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4006030469
  • カスタマーレビュー:
    3.7 5つ星のうち3.7 27個の評価

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2010年8月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「身の毛も弥立つ」「おぞましい」と評される異端の人類学者、M.ハリス氏の登場です。
昆虫食、ペット食、人肉食が登場しますので、さもありなん。
しかし、このご本は「人類=肉食」論のバイブル、理論的基礎と言ってもいい位の名作です。
真実を唱える異色の才能はいつの世でも異端視されるのが常でございます。
ガリレオ、龍馬、釜池豊秋先生・・・。
特に第1章「肉がほしい」では、小生思わず膝を叩いちゃいました。
余りにも我が意を得たりでしたので。

「人類本来の食とは??」
この根本疑問に関心の有る方、全てにお勧め出来ます。
是非ご購読下され。
実に素晴らしい出来です。
文庫本でも1100円もしちゃいますが、充分元の取れるご本でございます。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年4月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私がこの本を読もうと思った理由は、栗本慎一郎氏が「 経済人類学を学ぶ 」で彼の著書である「 文化唯物論―マテリアルから世界を読む新たな方法〈上〉 」、「 文化唯物論―マテリアルから世界を読む新たな方法〈下〉 」を引用してかなり良著としていたからだ。だから最も手近にこの本が手に入ったので読んでみた次第。

この本、訳者も指摘しているが難点もある。あまりに説得力がある為に、明確な証拠、論理をきちんと突き付けない限りは、それがあたかも根拠ある判断と勘違いされる恐れがあるからだ。何より私なりにも調べた限りでは8割は納得できるのであるが、違う生物学的な論拠もあったりするし少々(?)指摘したい。

第1章 肉がほしい
カロリー計算を遡上に上らせ、コスト&ベネフィットから考察する。実は糖質制限を続けている私からすると、カロリーはあまり当てにしてはいけないことが分かっている。肉食を続けていれば確かに筋力も付き、カルシウムも補え栄養の補充的には一番効率の良い食べ物としている。この点で反論はない。だが、糖質制限から人間の栄養を見直して、人類史の新たな視点を盛り込んだ、名著・夏井睦「
炭水化物が人類を滅ぼす【最終解答編】 植物vs.ヒトの全人類史 (光文社新書) 」を読んだ私としては(レビューもしたが)、カロリーだけで考察するのは危険だと考えた。炭水化物に含まれる糖質が人類を糖質中毒にさせたという考察を盛り込むと、人類の歴史がガラリと様相を変えて見えてくる。だから最新の科学的な論拠や生物学的な論拠を元に問い直しを続けることでしか、彼の言う唯物論は成り立たないことになる。だから絶対視はできない。コレステロールにしても、この頃にしては早くのうちから必ずしも悪いわけではないことに気づいている。脂肪を取った方が、糖質を取るより優先されるべきであるのだが、人類の文明の主軸となる食料がなぜ穀物なのかに疑いを持たないといけない。中毒性のある食料、例えば酒、香辛料、糖質、カフェイン飲料、あとニコチン、麻薬の類は人類の歴史に「正当化のバイアス」がかかり、あたかもそれが必要不可欠の様な「幻想」すら生み出してしまった。こういう悪い例を考えると、唯物論の一辺倒の考え方にも欠点があるとわかるはずだ。

第2章 牛は神様
これこそ「神話」や「宗教」が「無意識」のうちに「正当化」を作り出してしまう良い例であり、社会ー文化の集合体である「経済」(理法という意味で)は「生理感覚」すら制御してしまうのだと考えられる。タブーが発生するのは、無意識が生み出す、社会制度(習俗)が個人を抑圧という形で表れるせいだ。この辺を栗本慎一郎氏は「
経済人類学を学ぶ 」で評価している。

第3章 おぞましき豚
ユダヤ教、イスラム教では豚を食することをタブーとしている論拠に寄生虫や病原になることを根拠にしている。確かに最近の豚コレラの処分の例を考えると、その感染の危険性は頷ける。豚は感染拡大がとても速いのだ。だから古代から恐れられていたのだろう。豚の生態を考えると、コーランで食事規則や合理化、成文化する根拠も確かにそう考えていいと思う。これは恐らく「深層の知」によるものなのかもしれない。それ以外にもペストやマラリアの病原にもなることは知られている。
さらに言えば、カビや現代でも不明な微生物が含まれる土壌も食べてしまうので、消毒殺菌がままならない当時の観察だけではその根拠まではわからなかっただろう。けれど、豚を食した人がことごとく死者が出た民族がいたとか、そういう噂を「無意識」に判断していた可能性は否定できないし、その議論への反論そのものは逆に難しいだろう。
実際に中国では豚の家畜は盛んであり、半焼けの豚を食して寄生虫に感染したケースは非常に多く、東欧でも豚の生のソーセージで食中毒になったケースは現代でも聞く。この根拠の完全否定は難しいと、私は思う。

けれど、ハリスはそれが本来の原因ではない、違うと述べている。豚そのものは清潔度の高い動物ではあるが、汗腺が少ないことで水だけではなく、泥や、糞尿の中を転げまわる行動が嫌悪に拍車をかけている。でもこれは他の動物でも同じ行動がある。中東方面では森林を伐採し尽くしてしまったがために、本来森林に住むはずの豚は、草原で飼う家畜として高くつく(コストのかかる)ものになってしまったと述べる。それに豚と人間の食べる食料は、非常によく似ている。過酷な環境となった中東で豚を飼うことが避けられ、やがてタブーとして禁止されたのだと述べる。私は生態学的に両方の理由があったのではないかと思う。

第4章 馬は乗るものか、食べるものか
これについては、小さい頃から馬肉ソーセージが給食に出ていたし、馬刺しを焼肉店で食べていた日本人にはしっくりこないだろう。これも説得力のある章だろう。ぜひ読んで欲しい。小学生の頃、畑正憲原作・川崎のぼる「ムツゴロウが征く」(てんとう虫コミックス)を読んだことがあり、小さい頃の癖にかなりショックが大きかったエピソードがあったので覚えていた。畑正憲氏が小さい頃は満州に住んでいたが、その時、友達にしていた馬が穴に落ち、首の骨を折って即死した。当然子供の畑正憲氏にはショックな出来事だが、もっとショッキングだったのは、村民が我先にと、この馬を子供の前で嬉々として解体を始めたことだ。大人たちの合理的な選択に子供の畑正憲氏は衝撃を受ける。その夜は解体した馬肉の鍋になったが、感情的になり、食事を拒否する子供の畑正憲氏は物凄い勢いで父に叱られる。自然の厳しさをわかっていないと。だからこのシビアな分別心が子供心に随分と長く突き刺さっていたので、すぐこのエピソードを思い出した。

第5章 牛肉出世物語
この章もいい。ハンバーガーの登場によって、牛肉がアメリカの食卓を席捲してしまったエピソードの切れ味はいい。アメリカではハンバーガーの定義が牛肉でなければいけないのは知らなかった(連邦法 1946年319・15のB)。
アメリカでの経緯の紆余曲折がかなり複雑なので、要約は無理だ。

第6章 ミルク・ごくごく派と飲むとゴロゴロ派
私も大量に飲むと流石にゴロゴロする方であるが、私の母がそのゴロゴロ派。日本人も結構ラクトーゼ欠乏の人が結構いると言われている。けれどこれは腸内細菌叢の維持により、ラクトーゼを維持できる食文化を続ければいいだけで、ただ単に遺伝子的にそうというわけではなさそうなのだ。食文化に慣らされることで、エピジェネック(後天性遺伝発動)的にある程度大丈夫になる傾向もあるらしい。エドワード・ハウエル「
医者も知らない酵素の力 」を読むと、低温殺菌や殺菌をすることで、本来牛乳に含まれる栄養分解を助ける消化酵素が、そのせいで分解されるせいではないかともいわれている。さらに荒川弘「 百姓貴族 コミック 1-5巻セット 」を読むと、荒川弘さんが頑丈なのは、生乳をぐびぐび飲んでいたせいだろう。けれど日本では、食品衛生法で殺菌していない牛乳の流通は禁止なので、口にすることは恐らく無理だろう。腸内細菌叢(マイクロバイオーム)も自然淘汰圧によって、色々変化していくのだ。これらが「深層の知」に浮上して、タブーや文化を形成していったとも思われるが、残念なことに、如何せん証拠がまだ少ない。

第7章 昆虫栄養学
食虫というある意味ゲテモノ扱いされる章であるが、最近は風向きも変わってきた。WHOで昆虫食を推奨する動きも出てきている。それに、前野ウルド浩太郎「
バッタを倒しにアフリカへ 」を読むと、これを単に殺虫剤で殺してしまうのは「食べもせずにもったいない」と思ってしまった私は、かなりラディカルか変人だと思う(笑)。なにせ数えるのも嫌になる位大量にバッタが発生するのだ。それでも穀物にこだわる人類は、余程糖質中毒なのだと考えた方がいいと思う。岐阜や長野では蚕の佃煮を食するとか、信州人に言わせれば虫が食卓に上るのはごく普通のことらしいが、それ以外の人は強烈な嫌悪感があるだろう。この日本でもそういう事例に出くわすので考えてみると興味深い。イナゴの佃煮もあまりにも大量発生するので、駆逐して食してやろうと「復讐」の意味で食べたのかもしれないが、これもコスト&ベネフィットから考察すると面白いかもしれない(誰か考えて)。蚕の蛹を佃煮にするのも、養蚕して、絹を取り除く際、煮だして蛹を抜き取るが、食べたらかなり高いタンパク質が接種できることに「無意識」に気づいたからかもしれない。それに絹はかなり高値で取引できるし、現代でもこの文化は信州では残っている。中国や東南アジアにいけば昆虫は普通に食しているし、日本でも僅かにある。中央アフリカではフナ虫も食する地区もあるので、逆に中東、欧米諸国の方が「特殊」なのではないだろうか。これは一神教の宗教に帰依している文化がそうさせたのだろうか?とも思った。

第8章 ペットに食欲を感じるとき
この話も、戦後での話を私の父から聞いていた。赤犬や黒犬がおいしいらしいとか、今では話すにはやばい話を聞いていた。その私には、ショックは全然なかった。それに隣国の韓国や中国、台湾も食料として犬は売られているからだ。流石に最近は世界から非難されてか、メンツを保つ為かあまり食さなくなったらしいが、田舎に行けば普通に食することが出来るらしい。この著者の説明では中々説得力があるのだが、猫の説明が不足している!ことには不満だった。現代人が猫を飼うのは間違いなく「癒し」の意味があるだろう。サムネイルから分かる通り、猫派である私にはもう少し猫に突っ込んでほしかった。著者が実は猫派ではないかと疑っている(笑)。アボリジニがディンゴという犬種を丁重に育てて、最終的には食してしまう考察は良かった。実は神戸牛や松阪牛はそうやって丁重に育てるからおいしいのだ。だから日本人も人のことは言えないのだ。

第9章 人肉食の原価計算
最大の物議を醸し出すだろう大問題作の章であるが、実は一番面白い章である。けれど、どういう意味で面白いかは説明した方が良さそうだ。アステカでの供犠と人肉食の祝祭での彼の説明の展開はすごい。実は思想家のジョルジュ・バタイユ「
呪われた部分 」、「 エロティシズム 」を読むとアステカでの供犠や人肉食を神聖な至高性と結びつけてた議論がある。栗本慎一郎氏「 幻想としての経済 」でも同じ議論があるが、これを生命のエネルギー論(過剰ー蕩尽論)で述べている。これについては、メキシコやペルーの文明では車輪が発明されなかったことが、実は大きいのではないかと思っている。馬などの草食動物が少なかっただけではなく、農業をするにも家畜に耕させる考えや、戦争で車輪による長距離の機動力が無かったことはかなり大きいコストだったと考えるとどうなのか。けれどこれについては決定打に厳しい。この車輪の発明と馬の家畜化が広大なユーラシア大陸での文明史を書き換えたのは間違いない(デイヴィッド・W・アンソニー「 馬・車輪・言語(上) 」、「 馬・車輪・言語(下) 」という本もあるらしいが、本村凌二「 馬の世界史 」の方がよさそうだ)。

エピローグ
この章に関しては著者も疑問に思っていることなので、これからの議論に期待したいが、著者も亡くなってしまっているので、ノーコメント。

私的にはいい本であるし、自分の研究には役に立つ。けれど、さすがにうぶな人に対してや、デートの話題には出来ん内容だろう(笑)。仮に男性なら彼女にペットのこの話をしたり、仮に女性が男性に虫食の話をして嫌われても責任は持てない。何より「モテるための話題」には出来ないだろう。ここで最大の皮肉を言うが、栗本慎一郎氏によれば、著者が最大にライバル視している人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは、とても女性にモテたらしい。あの様な複雑な論理を振り回し、フランス人特有なエレガントな議論に軌道修正した事実は、「無意識」に周りの注目を集めるためだったと思えてならない。
23人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年2月8日に日本でレビュー済み
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もっと研究が進まないとわかんないことだらけだよね。理由はどうあれ人類はなんかしらの肉は食ってたってことだよね。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年9月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
見出しの一言に尽きます。
もう少し述べさせていただくと、環境条件から食文化、そして宗教などにも話が広く深くなっていくのが特に面白い。
2018年12月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容は読みたい!でも字が小さすぎて老眼鏡をかけてもダメ。早くデジタル化を望みます。ペーパーホワイトを愛用しているのでデジタル化されれば文字の調節を出来るので。それにしても岩波書店って昔のままで字が小さいのねぇ〜明らかに若い学生向きの字です。
でも今どきの学生が岩波の本を読むのかナゾ。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年9月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
様々な食物と各民族、文化の比較、嗜好・禁忌の経緯について語られている。

まず植物性食物は生命維持力はあるが、動物性食物はさらに加えて健康や幸福を与える力がある。と動物性食品の重要性を説き、しかし繊維質は大腸の蠕動運動を促し、大腸ガンを抑えると、植物の必要性にも言及する。

そしてまずは、仏教について。
不殺生の仏教徒も他の者が処理した動物性食物を食すことが出来る。召使いを持つ者は、彼らに卵を割らせる。要は自分に責任が及ばなければ良いのだ。
、という。

次にヒンドゥー教徒は、牛を神として崇拝しており、祭司は、牛乳、凝乳、バター、尿、糞を混ぜて聖なる「神酒」を作り、信者に塗りつける。寺の神像を、毎日牛乳で入浴させる。
ところでヒンドゥー教徒は何故牛を食べないのか。過去食べていたこともあったが、神格化し、農業力としてスキを引くことで、穀物を生産させることにした。それだけ人口密度が高くなってきたためだと考察している。

ジャイナ教徒は、誤って昆虫などを踏み潰すことがないよう、箒を持った助手に前を掃かせながら進まねばならない。また鼻や口には蚊やハエを吸い込まぬようマスクをする。では保護された昆虫はどうなるのか?実は部屋の中に少しの穀物と共に入れて封印してしまい、10−15年経たのち自然な死を遂げたと思われた頃、それらを肥料屋に売るという。

各地のユニークな嗜好や風習にも触れられている。
例えばニューギニアでは吐きそうになるまで豚肉を腹一杯食べるし、クン族という部族は、集落の皆に肉を分配する習慣がある。

また次の話題にも触れている。
・イスラム教徒が何故豚を食べないのか
・アメリカ人やヨーロッパの一部で馬肉を食べないのは何故か

最後に紹介したいのは、何故アメリカ人が牛肉を好むようになったのか。
実はこれには切っても切れないものとして、ファストフード産業があった。

ハンバーガーの定義の中には、牛の脂身を加えて良いとされている。

安い痩せた放牧牛の肉でハンバーガーを作ろうとするには、つなぎとして脂身が必要である。一方、飼育牛の脂肪は不必要なものになる。
飼育牛にとっては廃物となる脂身を放牧牛に用いることで、安いハンバーガーを作ることが可能となるので、飼育牛のコストを下げるためにはハンバーガーの存在が必要となるのである。

どうゆうことかというと、「あなたがステーキを食べれば、他の誰かがハンバーガーを食べられるようになるし、その逆に、あなたがマクドナルドでハンバーガーを食べると、他の誰かがリッツで食べるステーキに助成金を出していることになる」
彼らが赤身肉にがっつくためには、ハンバーガーに食らいつくことも同時に必要であり、それによってバランスが取られているのである。

世界で何故こんなに食べ物の好みが違うものなのか、多くのクエッションに本書は答えることができる一冊である。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年10月18日に日本でレビュー済み
かつて世界の食文化(例えば、モンゴル、キルギスなどの乳食文化)についてちょっと調べていたことがあり、
その際にこの書物(ハリス著、板橋訳)と出会い、そのときはとりあえず何か納得されたように記憶しています。
ハリス氏は、割と幅広い見識から、食文化というものにアプローチしていて、

○宗教儀礼や通過儀礼との禁忌(きんき)関係や、より日常的な信仰のレベルでの選好関係、
○栄養摂取とエコノミカルな視点を含む、食文化一般の生態学的合理性、
○共同体内における互酬的な交換体系の一環としての、分担的な食性形成など、

について指摘しつつ、ホットなトピックスとともに世界の食文化をめぐる種々の謎について、
読者にとって興味深く、含みを残す印象的なスタイルで縷々述べています。
本書はそうしたニーズにこたえうるとともに、嗜好品文化や食文化関連でまとめものをする必要がある場合などに、
暫定的解決への面白いクルーにもなりうる1冊として紹介し、
さらに、という向きには末尾などの参考文献にもあたられたら、と思います。