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給食の歴史 (岩波新書) 新書 – 2018/11/20

5つ星のうち4.4 111個の評価

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小中学校で毎日のように口にしてきた給食。楽しかったという人も、苦痛の時間だったという人もいるはず。子どもの味覚に対する権力行使の側面と、未来へ命をつなぎ新しい教育を模索する側面。給食は、明暗二面が交錯する「舞台」である。貧困、災害、運動、教育、世界という五つの視角から知られざる歴史に迫り、今後の可能性を探る。
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商品の説明

著者について

藤原辰史(ふじはら たつし)
1976年,北海道旭川市生まれ,島根県横田町(現・奥出雲町)出身.
2002年,京都大学人間・環境学研究科中途退学.京都大学人文科学研究所助手,東京大学農学生命科学研究科講師を経て,
現在―京都大学人文科学研究所准教授.
専門―農業史.
著書―『トラクターの世界史』(中公新書,2017),『戦争と農業』(集英社インターナショナル新書,2017),『食べること考えること』(共和国,2014),『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館,2012),『ナチスのキッチン』(水声社,河合隼雄学芸賞,2012,2016=決定版,共和国),『カブラの冬』(人文書院,2011),『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房,日本ドイツ学会奨励賞,2005,2012=新装版)など

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (2018/11/20)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2018/11/20
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 288ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4004317487
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4004317487
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.7 x 1.2 x 17.3 cm
  • カスタマーレビュー:
    5つ星のうち4.4 111個の評価

著者について

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藤原 辰史
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給食の今までと、今と、これから。まさに「歴史」。
星5つ中5つ
給食の今までと、今と、これから。まさに「歴史」。
 「給食」はどのように始まり、また、どのように変化して現在に至っているのか。「貧困、災害、運動、教育、世界という五つの視覚から」迫る。地元の新聞(北海道新聞)の書評欄で「給食の歴史にとどまらない広い内容の本」として紹介されていて知った。 世界ではまず、貧困の対策と救済を目的として給食が始まった。そして「給食があたるのは貧しい家庭の子」という社会的烙印が押されるのを防ぐため、そして栄養や富国強兵の観点から全児童に給食が提供される方向へ変化していった。災害が給食を提供する直接的な理由になることもあったし、逆に、給食のための備蓄食料が災害時には人々に供されもした。給食の実施を求める運動が行われたり、センター方式や食器の問題などをめぐって社会運動が行われたりもした。また、給食は食料提供でありつつ食べることに関した教育でもある。 日本では十九世紀初頭に給食の萌芽となる取り組みがあった。その後、給食は各地でばらばらに開始され、変化しつづけて、二十世紀になると、国の政策として学校給食が開始される。日本の学校給食は戦前からつづく制度である。 敗戦と凶作の食糧難で給食は休止するが、小麦と脱脂粉乳を売りたいアメリカと、日本全体の栄養状態を改善したい日本の思惑が一致して再開される。小麦の販路拡大を確かに狙ってはいたがアメリカが一方的に押しつけた制度ではない。給食を提供する者、提供しようとする者たちの理念と希望は熱い。「こども食堂」も給食の一つと言える。一方で「給食は母親の肩代わり」という今さらながらの無理解が、制度や質の硬化や劣化を招いているのではないだろうか。 材料や調理法、願い、政策上の位置づけなど、給食を取り囲む環境はめまぐるしく変化しつつも、それでも給食の果たす役割はこれからも大きなものであるのだろう。
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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2018年12月6日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    『輝ける闇』(毎日出版文化賞受賞)
    『夏の闇』(フィンランド文部大臣賞受賞)
    『花終る闇』(未完)(以上「闇三部作」)
    『耳の物語』(日本文学大賞受賞)
    『珠玉』(絶筆)
    などの作品で知られ
    ノーベル文学賞もとりざたされた
    開高健(1930-1989)は
    終戦直後の旧制中学校における
    欠食(昼食を抜くこと)について
    小説でも随筆でも
    たびたび書いています。

    開高健は戦争中の1943年
    旧制・大阪府立天王寺中学
    (現在の天王寺高校)
    (旧制中学は5年制)
    に入学します。その年
    国民学校教頭であった父が病死
    一気に生活は困窮します。
    戦争中はまだ市民はほぼ平等に
    おしなべて貧しかったのですが
    1945年8月15日、敗戦。
    その後、闇市が繁盛し
    飢える者と飢えていない者の
    格差が歴然とあらわれます。
    配給だけでは生存できません。
    一家の大黒柱を失っていた開高家は
    最極貧にまで落ち込みました。

    夕食はローソクのもと
    祖父・母・叔母・妹二人・そして
    開高自身の6人が争うように
    ふかしたイモを食べるのがやっとでした。
    (みんな殺人鬼の目つきをしていた
    と書いています)
    学校に持っていく弁当などありません。
    開高は昼休みになると
    一人静かに教室を出て
    校舎のウラの水道で
    満腹になるほど水を飲み
    ズボンのベルトをきつく
    しめ上げると教室に戻る
    という生活を繰り返していました。

    ある日
    何食わぬ顔で教室に戻ると
    机の中にイモで作ったパンが
    押し込んでありました。
    羞恥心で真っ赤になった開高は
    教室を飛び出します。
    あとを追っかけてきた旧友が
    「トトチャブはつらいやろ。
    うちはまだなんとかやっていける。
    悪いけど黙って食べてくれや」
    とおろおろした口調で言い
    足早に去って行った。

    というエピソードが
    『青い月曜日』でも
    『耳の物語』でも
    『花終る闇』でも
    そのほかの随筆でも
    繰り返し語られています。
    小説家・開高健にとって
    ひとつの原体験でありました。
    後年、開高が美食家として
    食について語り・書くようになったのは
    このときの反動かもしれません。
    ちなみに
    「トトチャブ」とは
    水だけ飲んで食事のかわりとすることの
    当時の隠語(ないし方言)です。

    正確な年代・時期は覚えていませんが
    東北地方の小学校で
    机の上のわら半紙の上に
    焼きシャケの切り身をひとつずつ
    教師が生徒にハシで配って
    給食としているという
    ニュース映画を見た開高は
    もう大人になっていましたが
    映画館の便所に隠れて号泣した
    ‥と随筆に書いていました。

    こうした根源的な「飢餓」に対しては
    学校給食が一定の役割を果たすであろう
    ことは予想がつきます。
    しかし明もあれば暗もあり
    光もあれば影もあります。
    後述いたしますが
    私にとって給食は
    苦痛を通り越して虐待
    人権侵害を超えて暴力
    というくらいの
    心的外傷を受けいまだに
    怨念と憎悪の対象です。

    さて本書は
    農業史の専門家である著者が
    貧困・災害・運動・教育・世界
    という5つの切り口で切った
    日本の学校の給食の歴史です。
    新書であり一般人を対象にしている
    と想定されますが
    なかなか本格的な本と思います。

    著者によりますと
    給食の歴史はおおむね次の
    4つの時期に分かれます。
    ①萌芽期
    ②占領期
    ③発展期
    ④行革期
    です。
    本書においては
    「まえがき」と第1章で
    まず「舞台」となる給食を概説し
    2章から5章まででそれぞれ
    上記の①から④の時期を記述
    第6章と「あとがき」で
    将来を展望します。

    私は牛乳が飲めません。
    大人になってわかったのですが
    乳糖(ラクトース)分解酵素である
    ラクターゼを持っていないからです。
    正確に言うとラクターゼ活性が低いからです。
    ヒトも含めて哺乳類全般は
    離乳とともにラクターゼ活性が低下します。
    成人になっても活性が持続するのを
    ラクターゼ活性持続症と言います。
    欧米人は日本人より圧倒的に
    ラクターゼ活性持続症が多いです。

    欧米人の価値観そのままに
    私のような日本人に牛乳を飲ませると
    乳糖を分解できないので
    吐き気や下痢などの症状が起こります。
    乳糖不耐症と呼ばれることもあります。
    同様に
    給食とは関係ありませんが
    アルコール分解酵素も
    アセトアルデヒド分解酵素も
    ともに活性が低い(ない)ので
    アルコールも全く飲めません。

    小学4年生のとき
    学級担任は体育専門の男性教師でした。
    小学校ですから(音楽以外の)
    すべての教科を学級担任が教えます。
    学級担任は「給食指導」というより
    「給食『完食』指導」に熱心でした。
    熱心というよりサディスティックでした。

    4年生になった初日
    学級担任はすべての児童について
    ①牛乳・②パン・③おかず
    のそれぞれについて
    「完食したか/残したか」を
    ○×式で記録するための
    方眼紙をとじた分厚い閻魔(えんま)帳を
    作りました
    私は3つの欄すべてで×でした。

    2日目
    完食できなかった班もしくは
    完食するのがいちばん遅かった班を
    給食当番にする制度を導入しました。
    私の班はいつも給食当番でした。
    完食できないことを「罪」と規定し
    「罪」を犯した児童たちは
    「罰」を受けなければならない
    という発想による「指導」です。

    その後
    完食できない児童は
    給食時間が終わっても
    昼休み時間になっても
    掃除の時間になっても
    要するに5時間目が始まるまで
    食べ続けるように強制されました。
    給食時間は自分の机と椅子で
    給食を食べます。
    昼休みになると机と椅子は
    掃除に備えて
    教室のうしろの方へ寄せてしまいます。
    だから他人の机や椅子を借りて
    教室の隅、机の端で食べ続けます。
    掃除の時間になると
    教室から追い出され
    廊下で
    コンクリートの床に正座し
    床に直接、牛乳瓶や食器を置いて
    食べ続けました。
    食べるのが遅いというよりは
    全く食べられないので
    廊下に正座して
    吐き気をこらえつつ
    食べる努力をするだけでした。
    5時間目開始の鐘が鳴ると
    自分で牛乳瓶や食器を
    給食室まで持って行き
    残飯を始末していました。

    ここまでやらされる児童は
    たいてい私一人でした。
    たまにもう一人くらい児童がいました。
    二人で廊下に正座して
    食べる努力をしていると
    学級担任がやって来て
    もう一人の児童の口の中に
    無理やりコッペパンを突っ込みました。
    その児童は泣きながら
    コッペパンを食べようとしましたが
    もどしてしまいました。
    「次は自分の番だ」と
    私は覚悟を決めていましたが
    学級担任は去って行きました。
    吐いたものを始末するのが
    嫌だったのでしょう。

    後年
    ナチス・ドイツによる
    強制収容所の記録映画を見たとき
    あのときの恐怖心がまざまざと
    よみがえったものです。
    ナチス親衛隊の看守の顔は
    学級担任の顔でした。

    今になって振り返ると
    あんなものは給食「指導」ではなくて
    ただの虐待・暴虐・形を変えた暴力
    としか思えません。
    まさか現在
    このような野蛮な「指導」はなくなった
    と思っていましたが
    ときどきそうではないことを示す
    ニュースを見聞きします。
    たいへん残念です。

    結局
    4年生の大半をこうして過ごしました。
    「給食のない国に行きたい」
    と切実に思いました。
    数学者・藤原正彦氏(1943-)によりますと
    英国には給食はないもようです。
    「サンドイッチを持って来る子と
    自宅に帰る子が半分強で
    残りはリンゴ1個とか、
    バナナ1本、ニンジン1本と
    チョコレートバー1本などと
    様々だった」
    さらに英国では
    「ルールで食生活を規制する、
    などというのは、
    国民性に合わないからあり得ない」
    と述べています。
    英国がノーベル賞やフィールズ賞の
    受賞者を多く輩出している理由の
    一因はここにあると思います。
    藤原正彦『遙かなるケンブリッジ』
    (新潮社 1991 後に新潮文庫)(P.62)
    をお読みいただけると幸いです。

    小学4年生の私は
    毎日毎日
    廊下に正座して
    食べられない給食と対峙していました。
    あの地獄のような日々に比べると
    その後の
    受験勉強や資格試験や就職試験などは
    まったくの天国です。
    大人になってからの公私のトラブル
    上司からの嫌がらせや
    今でいうパワーハラスメント
    部下からの突き上げ
    同僚による足の引っ張り合い
    モンスターのような仕事上の対人関係
    あるいは私生活でなめた辛酸など
    「給食という煉獄」に比べれば
    何でもありません。

    個人的には私は
    「核兵器と給食の廃絶」を
    究極の理想としています。
    どちらも私にとっては
    非人道的・非人間的だからです。
    しかし
    冒頭に引用した開高健のような
    人生を知るにつれ
    核兵器はともかくとして
    給食は条件付きで存在を認めても
    いいかもしれないと思います。
    問題は
    給食そのものではなく
    「給食指導」や「学級担任」にある
    と考えられるからです。

    なぜ私が
    給食を食べられなかったというと
    牛乳に関しては上述の通り
    乳糖分解酵素(ラクターゼ)活性が
    なかったからです。
    そのほかのものも全く
    食べられませんでした。
    その理由は
    学級担任が恐怖と恫喝で支配していたので
    「給食を食べなければ」
    という緊張のあまり
    交感神経優位になり
    ストレスホルモンが大量に分泌され
    胃腸がほぼ活動を停止し
    消化も嚥下も咀嚼も摂食も
    できない状態になっていたからと
    思われます。

    朝食を抜いていけば
    給食が食べられるだろう
    と子ども心に考えましたが
    恐い給食の時間になると
    まったく食欲がなくなり
    一切の食物が喉を通らず
    廊下に正座して給食と対峙することの
    繰り返しでした。

    私がその後の人生で
    朝食をとらなくなったのは
    小学4年時の長き後遺症です。
    その点においては
    給食によって私の人生は破壊された
    も同然です。実は
    「半死の白頭翁」となった現在でも
    「会食恐怖症」が心的外傷として
    残っています。
    忘年会・新年会・宴会はもちろん
    単なる食事会であっても
    口実を作ってたびたび欠席しました。
    給食の恐怖がよみがえると
    足がすくんでしまうのです。
    「これは給食じゃない」
    と自己暗示にかけ
    なんとかやりくりしています。

    私はもともと中肉中背で
    読書は好きでしたが
    スポーツは嫌いでした。
    (だから体育教師である
    学級担任から目をつけられた
    のかもしれません)
    人前に出るのは嫌いでしたが
    学業はふつうにできたので
    おとなしくてお人よしという
    性格であったように思います。
    ところが
    上述の通り4年生を通して
    給食・昼休み後の掃除の時間まで
    たった一人で廊下で正座し
    給食と対峙していたので
    「あいつは根性がある」
    と思われたのか
    翌年の1月つまり3学期になって
    学級委員の選挙(単記無記名投票)を
    したところ
    私が学級委員長に当選するという
    大ばんくるわせが起こりました。
    それまでは学業も運動もできる
    しっかりした女子児童が
    学級委員長になるケースが多かったものです。
    結果を知った学級担任が
    苦虫をかみつぶしたような顔をしたのを
    今でもよく覚えています。
    (もっとも私は給食同様
    学級委員も嫌いでした)

    最後になりましたが
    農業史の専門家である著者には
    私が体験したような
    「暴虐としての給食(指導)」について
    特化し
    いっそう深化した本の出版を
    希望してやみません。
    67人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2023年7月18日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    給食をここまで考えたことがなかった。自分自身の記憶を振り返ると、給食に嫌な思い出はないし、クラスで貧しさを感じたこともなかったが、それでも、色々と思い出すことはある。給食はやはり楽しみだったし、焼きそばやカレーライスの日は嬉しかったし、ミルメークなんてものもあったなぁ。米食に牛乳は、子供ながらに変だと感じていたが。クリスマスには小さいけれど丸いケーキが出て、家に持ち帰り、母親を喜ばせたいと思ったものだった。
    小学生の息子とも、よく給食の話もする。あまり、貧しい世帯がいない地域であるが、地域の名産も出てくるようだし、偏食が多い息子も、給食であれば、残さず食べているようだ。PTA活動で給食試食会があり、何となく、父親は参加しにくい感じだったが、今年は最後の機会、是非、参加してみよう。
    3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2024年11月8日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    この本を知ったきっかけは新聞のレビューでした。わたしも臭い脱脂粉乳時代の給食を経験した世代なので、なぜあんな貧相で不味い給食しかなかったのか疑問に思っていましたが、この本を読んで大変参考になりました。とても楽しくて面白いですよ!
  • 2024年1月14日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    皆様は給食は好きだろうか、それとも苦手であろうか。
    私は、既に過去形にはなるが、正直言って苦手どころか、苦痛ですらあった…それは偏食だった事も理由の一つだが、私の時代の給食はとにかく変な組み合わせばかりで、食文化の教育からはかけ離れた”変食”メニュー自体、耐えられなかったのだ。
    だが、本書を読むと、そんなメニューになってしまった経緯が解るばかりか、改善された今現在の給食事情も良く解る…正しく「給食の歴史」と言うに相応しい一冊である。

    第一章「舞台の構図」
    給食の様々なシステム(調理方法や提供方法等)を具体的に解説しながら給食の基本を抑えると共に、給食史全体を日本のみならず世界にも目を向けて考える。

    第二章「禍転じて福へ」(萌芽期)
    給食の誕生は貧困層にも就学を勧めた時期と重なる上に、実はこの「貧困」が常に給食の課題でもある事…そして、当時から既に、給食を提供される子供にスティグマを意識させないような取り組みが成されていた事を知ったのには思わず感嘆してしまった。

    第三章「黒船再来」(占領期)
    悪名高き脱脂粉乳(…とは言え、本当にまずいのかは知らないが)が登場…また、子供を救う為というのは実は表向きであり、この裏側にはGHQ、或いは日本政府の思惑が入り乱れていた事が解り、実は給食は政治に利用されていた側面もあった事を知る事が出来た。

    第四章「置き土産の意味」(発展期)
    「給食=一律に同じものを支給される」事に共産主義や社会主義を見出す思考が高まり、給食が危機に瀕した歴史がある事を紹介…そして、その危機を乗り越えたからこそ、或いはアメリカの影響を残しつつも日本独自の路線を歩んだからこそ、今がある事を強調している。

    第五章「新自由主義と現場の抗争」(行革期)
    給食センターの制度、食器、食材、アレルギーや食中毒、衛生管理、給食費の問題等を具体的に取り上げながら、給食に携わる人々教師、或いは母親達の活動にも目を向けている。

    第六章「見果てぬ舞台」
    食育基本法に始まり、地産地消を奨励する自治体、給食を通して新たな教育方法に目を向ける取り組み、そして昨今改めて取り沙汰される貧困層の問題を含め、現状と未来の展望とを考察して本書は閉幕となる。

    因みに、本書は給食を通史として扱うものの、単なる歴史の羅列ではなく、特筆すべき自治体の給食を取材したり、著名人の思い出話(因みに、立松和平氏は私が苦手とした「変食メニュー」も良い思い出として語っていた)や給食に纏わる事件や悲話を紹介したり、その他、意外に古いキッチンカーの歴史、スプーン曲げの流行、メディアやネットが扇動する給食費未納問題の真相等々、とにかく内容は幅広く充実している。
    勿論、給食嫌いだった私にとっては、本書を読んだからと言って、急に「給食が良い思い出」になる事は決してないが、本書を通して給食の歴史について豊富な知識を得る事が出来たと同時に、給食の重要性を考える機会を与えて貰えた事は間違いない。

    日本の子供達を永らく支え、そして今後も支え続けるであろう給食の在り方を考える上では欠かせない一冊である。
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  • 2019年1月7日に日本でレビュー済み
    タイトル通りで、給食の歴史を戦前から現代までたどった本である。
    全般的な歴史を扱っているが、本書で繰り返し出てくるのは「欠食児の最後の砦としての給食」という側面で、戦前戦後直後、高度経済成長期、現代と何度もこのテーマが論じられている。

    戦前の発育改善や貧困層のための給食導入、スティグマ問題から始まり、関東大震災の災後対策としての給食普及や凶作時農村の話など、やはり飢えと貧困が軸として話が進んでいく。
    この話は、高度経済成長期のすずらん給食と欠食児童問題の発覚、最近の「子供の貧困」や給食費未納に絡んだ問題で何度も触れられている。

    戦後は、アメリカの「米食だから日本人はいかん」という感じのパン食、脱脂粉乳の給食(大礒がGHQや政府と交渉し、給食食糧を頑張って確保した)は、当初は給食泥棒が起きるほどの食糧難時代であったため有難られたが、次第に脱脂粉乳はマズさの代名詞にもなっていく。
    米食への転換の動きとその反対(パン屋が反対したという)の綱引きがその後に来る。
    戦後すぐには日本全体ではパン食は増えていないのだが、子供たちの舌から長い年月を経て始まっていった食文化の変化は確実に存在したし、それは給食によるところも大きいと筆者は見ている。

    先割れスプーン、アルミ食器、お化けプレートなどは、子供たちの食マナーを悪化させ、また給食を嫌なものにする要因でもあり、改善運動が各地で起きた。
    私は95~01に小学校にいたが、箸と陶器の食器だったので、このような改善運動の帰結の恩恵を受けたともいえるだろう。
    センター方式と自校方式の間の揺れ動きも、行革期に起きている。

    全体にいろいろ書いてあるのだが、しかし同時にまとまりや全体の筋がないという印象も強い。
    また、筆者が力を入れていると思われる欠食児童と給食の話について、ほとんどエピソードベースで語られているため、客観的なデータとしてどうなのかがよく分からない。(例えば高度経済成長後、最近以前には欠食児は減っていたのか、本書が端に書いていないだけなのかよく分からない)
    欠食児の人数割合はどのように推移してきたのか、地域差(都市と農村)はどうなのか、といったことが論じられていないので、あまり地に足がついていないように感じられる。
    国民皆兵で始まったドイツ(しかし西ドイツでは給食は続かなかったという)、慈善事業として始まったフランス、無償化へと一気に進んだ韓国など、面白い国際比較もあったが、それは最初にさらりと触れられるだけだったので、日本での給食の位置づけを理解するためにももう少し給食国際比較も深めてよかった気がする。
    悪くはないが、淡々と描かれている、という感じの一冊であった。
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