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知的生産の技術 (岩波新書) Kindle版
学校では知識は教えるけれど知識の獲得のしかたはあまり教えてくれない.メモのとり方,カードの利用法,原稿の書き方など基本的技術の訓練不足が研究能力の低下をもたらすと考える著者は,長年にわたる模索の体験と共同討論の中から確信をえて,創造的な知的生産を行なうための実践的技術についての提案を試みる.
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1969/7/21
- ファイルサイズ2377 KB
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登録情報
- ASIN : B014R3S71E
- 出版社 : 岩波書店 (1969/7/21)
- 発売日 : 1969/7/21
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2377 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 227ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 57,881位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 268位岩波新書
- - 1,034位エッセー・随筆 (Kindleストア)
- - 1,356位近現代日本のエッセー・随筆
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年3月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
過去に通読しましたが、不実行の部分もあり理解が不足していましたが、改めて精読してみて著者の研究の凄さを再認識させられました。現代なら科学技術の進歩によって変化していますので現代版が有ればどうなるかと想像しています。
2024年3月25日に日本でレビュー済み
論文を書くのが苦手で、どう書いていいか途方に暮れていたので、この本を手に取りました。
著者がお勧めしていた「こざね」方式を実践してみようと思います。
著者がお勧めしていた「こざね」方式を実践してみようと思います。
2023年5月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古典というより原点
さまざまなハウツー本が氾濫する
ツールとしてもnotionやsimplenoteなどさまざまなものが誰でも無償であるいは低コストで使える
スペースや検索性などの心配も解消している
でも、基本は?!
あらためてもはや古典となった知的生産の技術を数十年ぶりに読み返させていただいた
便利になりすぎて扱いがぞんざいというか深く考えず適当に使い後から活用できないゴミ溜めになりがち
敗戦からさほどたたず技術も産業も未熟な中で基本部分が考え抜かれた時代のまさにその中で書かれた本は忘れがちな活用するためにはどうあるべきかを多種なツール使う上で参考になります
タイプライターやカードなど悩ましい問題の多くが取り巻く環境が一変して解決している
かと言って後半の日本語そのものの問題は未解決のまま
むしろ悪化してしまった
せめて個人の知的生産の技術はもう一度見直そうと思い新たにしました
さまざまなハウツー本が氾濫する
ツールとしてもnotionやsimplenoteなどさまざまなものが誰でも無償であるいは低コストで使える
スペースや検索性などの心配も解消している
でも、基本は?!
あらためてもはや古典となった知的生産の技術を数十年ぶりに読み返させていただいた
便利になりすぎて扱いがぞんざいというか深く考えず適当に使い後から活用できないゴミ溜めになりがち
敗戦からさほどたたず技術も産業も未熟な中で基本部分が考え抜かれた時代のまさにその中で書かれた本は忘れがちな活用するためにはどうあるべきかを多種なツール使う上で参考になります
タイプライターやカードなど悩ましい問題の多くが取り巻く環境が一変して解決している
かと言って後半の日本語そのものの問題は未解決のまま
むしろ悪化してしまった
せめて個人の知的生産の技術はもう一度見直そうと思い新たにしました
2022年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古典的な作品ではあるけど、メモを取ることの背景論や考え方そのものは今でも参考になる。他方で具体的な方法論は、パソコンのない時代に作られたものなので、そのままは適用できないことは留意。
2023年7月31日に日本でレビュー済み
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戦後まもない発行だからか、タイプライターで文章を書くべきとする一文がある。さらには「カナ文字タイプライター」なるものの名前まで出てくる!さらには「新体系の日本語研究の存在」も書かれている。なかには「神代文字を基本とした新言語の開発」なども、当時はあったらしい。時代の重要な変革時期を知るために、本書を読むこともひとつの面白さだ。
2022年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
知的生産とありますので、カードを使った発想法についてだろうかと考えていましたが、案外、形式的な側面が強かったです。手帳、カード、スクラップブック、ファイルキャビネット、タイプライターといったツールについて語られます。これらは現在ではデジタル化されて利便性が格段に向上しています。
アナログ、紙ベースでしか処理できなかった時代の悪戦苦闘の記録が現代に伝えられているといった読み方をすべきでしょうか。例えば、タイプライターの時代では漢字廃止論が根強くあったことが窺えます。
また、手紙、日記、原稿、文章の書き方にもページが割かれていますが、これも形式的な側面が強いです。文章作法的なことが書かれているのです。一方で、カードを並べ替え組み替えて文章を生成するこざね法についても触れられています。これが唯一発想法的でしょうか。
発想法について知りたい人は、川喜田二郎「発想法」(中公新書)を当たった方がよさそうです。
メモをとることの大切さも強調されています。私自身、自分の内にあった思いを言語化しなかったことで後悔したことがありますので、身につまされます。
アナログ、紙ベースでしか処理できなかった時代の悪戦苦闘の記録が現代に伝えられているといった読み方をすべきでしょうか。例えば、タイプライターの時代では漢字廃止論が根強くあったことが窺えます。
また、手紙、日記、原稿、文章の書き方にもページが割かれていますが、これも形式的な側面が強いです。文章作法的なことが書かれているのです。一方で、カードを並べ替え組み替えて文章を生成するこざね法についても触れられています。これが唯一発想法的でしょうか。
発想法について知りたい人は、川喜田二郎「発想法」(中公新書)を当たった方がよさそうです。
メモをとることの大切さも強調されています。私自身、自分の内にあった思いを言語化しなかったことで後悔したことがありますので、身につまされます。
2024年1月3日に日本でレビュー済み
1.技術は変化しても原理は不変
内容はすごく古いのに「今読んでも古さを感じない」本が世界には存在する。『知的生産の技術』もその一冊だ。
著者のいう知的生産とは「頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら(情報)を、ひとにわかるかたちで提出すること」である。思考してアウトプットすることだ。これを行うための様々な技術を教えてくれる。
この本は今でもかなり知られているベストセラーだ。よく聞く評価は「今でも使える!」みたいな話だ。だから古くないんだと。
……さすがにそれは言いすぎだろう。出版された1969年は、パソコンもインターネットもスマホもみんなが使っている時代ではない。現代はメモも手書きではなくスマホでさっと打ち込んだり、言葉を使わず写真に撮ってメモ代わりにすることもある。
そんな今「タイプライターはローマ字やカナ文字よりもひらがなが良い」と書かれた文章を読んでも「いや、もうパソコンですべて変換できるんで。てか漢字変換もできまっせ」という話だ。
説かれている具体的な技術は、現代で使おうと思わなかったりピンとこないものがある。でもこの本は今読んでも古さを感じさせない。なぜか。
それは「なぜその技術が知的生産に使えるか」という原理を解説しているからだ。抽象化が非常にうまい。具体的な技術に古い新しいはあっても原理は普遍だ。原理なら現代にも応用がきく。
例えばスクラップの話がある。新聞や資料を切り抜いてノートや台紙に貼って保管しておく方法だ。年齢が若ければ若いほどこういう資料整理をする人は減っているだろう。スクラップ・ブックなんて言葉を誰も知らない未来もやってくるかもしれない。
しかし、ただ単に切り抜きの整理の技術を伝えるだけでこの本は終わらない。「切り抜いて貼って保管する」作業が何を意味するかを端的に説明しているのだ。それが「規格化」と「単位化」である。
切り抜きには大きいものも小さいものもある。それを同じ形のノートや台紙に貼るということは、同じ型式をもつ資料になり単位がそろう。その上で分類や整理や保存を行っていく。
この考え方、現代でもあらゆる情報整理に活かすことができる。集めた情報をいきなり整理するのではなく、いったん同じ型に落としこんで規格化する。実物の整理でも脳内の思考の整理でも役立ちそうだ。
よく考えるといったん型式に落として整理するという行為は、みんな当たり前にしている。僕が書いている書評だって「noteの一記事」という型式に一冊ずつ落とし込まれ、マガジンという箱を作って書評を入れられている。自覚なく普通に使われている技術を「規格化」と「単位化」という二単語で端的に表現したところに著者の抽象化能力の高さがあらわれている。
2.「自由」が人をアウトプットから遠ざける
他に著者の抽象化能力の高さを感じた箇所がある。最近(1969年当時)の日本人が手紙を書かなくなったこと理由を彼は次のように考察した。
日本人が手紙をかかなくなったのは、内容第一主義のかんがえかたと、どこかでつながっているにちがいない。内容本位で、形式を否定してしまったから、みんな手紙がかけなくなってしまったのだ。むかしは形式がしっかりときまっていた。形式はややわずらわしく、おぼえるのに手間はかかったが、おぼえてしまえばだれでもが、自分のつたえたいとおもう内容をのベることができた。まったく無内容でも、手紙をだすこと自体に意味があるというような手紙さえも、りっぱにかけたのである。
(梅棹忠夫『知的生産の技術』p151)
これに合わせて彼は日記に関してもこう述べている。
日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、とかんがえておいたほうがいい。手紙に形式があるように、日記にも形式が必要である。
(梅棹忠夫『知的生産の技術』p162)
大事なのは「形式」という言葉だ。書く内容ではなく書くフォーマットの大事さを彼は説いている。フォーマットは何か縛られているように感じるが、それに沿って書けばある程度のアウトプットは出せるし継続できる。自由に書いてと言われるから中身のあるものを出そうとこだわり何もできなくなる。日記や手紙に限らずあらゆるアウトプットにいえる話だ。
もちろん気まぐれ一回こっきりのアウトプットなら自由でもいいものは出せるかもしれない。でも継続したアウトプットには形式があると良い。うまく出てこないときでも形式に沿えばある程度の質が担保されたものを作れるからだ。
著者は手紙を題材にして一般の人々のアウトプットに必要なのは「形式」だと看破した。これも抽象化がなせる技だ。
もちろん彼が紹介している技術そのものには今すぐに使える、使いたいものもある。
「メモは文章にして書く」はすぐにやってみることにした。確かに単語をメモするより具体的な考えが形になりやすい。最初は時間がかかるけど慣れるまで試してみるつもりだ。
「あーめっちゃわかる!!!」と思った技術もある。「資料は積んではいけない。必ず立てる」という話だ。本や資料を重ねて積んでおくと引っ張り出すのがおっくうになったり、整理もわずらわしい。かつて住まいの都合上、本を積み上げて生活していたこともあったが、今のように棚にちゃんと立てて本を置いていた方が手に取る頻度はやはり高い。
「今読んでも古さを感じない」本にはやはり理由がある。抽象化された原理が分かりやすく述べることで、時代と関係ない普遍性を獲得している点だ。もっと言うとこの本が未だにベストセラーなのは、いかに最近の本が枝葉の技術紹介に終始しており、本質をこの本ほど端的に説明できてないかを象徴しているのかもしれない。
内容はすごく古いのに「今読んでも古さを感じない」本が世界には存在する。『知的生産の技術』もその一冊だ。
著者のいう知的生産とは「頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら(情報)を、ひとにわかるかたちで提出すること」である。思考してアウトプットすることだ。これを行うための様々な技術を教えてくれる。
この本は今でもかなり知られているベストセラーだ。よく聞く評価は「今でも使える!」みたいな話だ。だから古くないんだと。
……さすがにそれは言いすぎだろう。出版された1969年は、パソコンもインターネットもスマホもみんなが使っている時代ではない。現代はメモも手書きではなくスマホでさっと打ち込んだり、言葉を使わず写真に撮ってメモ代わりにすることもある。
そんな今「タイプライターはローマ字やカナ文字よりもひらがなが良い」と書かれた文章を読んでも「いや、もうパソコンですべて変換できるんで。てか漢字変換もできまっせ」という話だ。
説かれている具体的な技術は、現代で使おうと思わなかったりピンとこないものがある。でもこの本は今読んでも古さを感じさせない。なぜか。
それは「なぜその技術が知的生産に使えるか」という原理を解説しているからだ。抽象化が非常にうまい。具体的な技術に古い新しいはあっても原理は普遍だ。原理なら現代にも応用がきく。
例えばスクラップの話がある。新聞や資料を切り抜いてノートや台紙に貼って保管しておく方法だ。年齢が若ければ若いほどこういう資料整理をする人は減っているだろう。スクラップ・ブックなんて言葉を誰も知らない未来もやってくるかもしれない。
しかし、ただ単に切り抜きの整理の技術を伝えるだけでこの本は終わらない。「切り抜いて貼って保管する」作業が何を意味するかを端的に説明しているのだ。それが「規格化」と「単位化」である。
切り抜きには大きいものも小さいものもある。それを同じ形のノートや台紙に貼るということは、同じ型式をもつ資料になり単位がそろう。その上で分類や整理や保存を行っていく。
この考え方、現代でもあらゆる情報整理に活かすことができる。集めた情報をいきなり整理するのではなく、いったん同じ型に落としこんで規格化する。実物の整理でも脳内の思考の整理でも役立ちそうだ。
よく考えるといったん型式に落として整理するという行為は、みんな当たり前にしている。僕が書いている書評だって「noteの一記事」という型式に一冊ずつ落とし込まれ、マガジンという箱を作って書評を入れられている。自覚なく普通に使われている技術を「規格化」と「単位化」という二単語で端的に表現したところに著者の抽象化能力の高さがあらわれている。
2.「自由」が人をアウトプットから遠ざける
他に著者の抽象化能力の高さを感じた箇所がある。最近(1969年当時)の日本人が手紙を書かなくなったこと理由を彼は次のように考察した。
日本人が手紙をかかなくなったのは、内容第一主義のかんがえかたと、どこかでつながっているにちがいない。内容本位で、形式を否定してしまったから、みんな手紙がかけなくなってしまったのだ。むかしは形式がしっかりときまっていた。形式はややわずらわしく、おぼえるのに手間はかかったが、おぼえてしまえばだれでもが、自分のつたえたいとおもう内容をのベることができた。まったく無内容でも、手紙をだすこと自体に意味があるというような手紙さえも、りっぱにかけたのである。
(梅棹忠夫『知的生産の技術』p151)
これに合わせて彼は日記に関してもこう述べている。
日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、とかんがえておいたほうがいい。手紙に形式があるように、日記にも形式が必要である。
(梅棹忠夫『知的生産の技術』p162)
大事なのは「形式」という言葉だ。書く内容ではなく書くフォーマットの大事さを彼は説いている。フォーマットは何か縛られているように感じるが、それに沿って書けばある程度のアウトプットは出せるし継続できる。自由に書いてと言われるから中身のあるものを出そうとこだわり何もできなくなる。日記や手紙に限らずあらゆるアウトプットにいえる話だ。
もちろん気まぐれ一回こっきりのアウトプットなら自由でもいいものは出せるかもしれない。でも継続したアウトプットには形式があると良い。うまく出てこないときでも形式に沿えばある程度の質が担保されたものを作れるからだ。
著者は手紙を題材にして一般の人々のアウトプットに必要なのは「形式」だと看破した。これも抽象化がなせる技だ。
もちろん彼が紹介している技術そのものには今すぐに使える、使いたいものもある。
「メモは文章にして書く」はすぐにやってみることにした。確かに単語をメモするより具体的な考えが形になりやすい。最初は時間がかかるけど慣れるまで試してみるつもりだ。
「あーめっちゃわかる!!!」と思った技術もある。「資料は積んではいけない。必ず立てる」という話だ。本や資料を重ねて積んでおくと引っ張り出すのがおっくうになったり、整理もわずらわしい。かつて住まいの都合上、本を積み上げて生活していたこともあったが、今のように棚にちゃんと立てて本を置いていた方が手に取る頻度はやはり高い。
「今読んでも古さを感じない」本にはやはり理由がある。抽象化された原理が分かりやすく述べることで、時代と関係ない普遍性を獲得している点だ。もっと言うとこの本が未だにベストセラーなのは、いかに最近の本が枝葉の技術紹介に終始しており、本質をこの本ほど端的に説明できてないかを象徴しているのかもしれない。
2022年9月19日に日本でレビュー済み
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本書の著者・梅棹忠夫さんの旧邸の写真をインターネットで見た。
生誕100年にちなんだ記事だったように思う。
(1920年6月:大正9年生まれ、2010年7月死去)
趣のある中庭の向こうには瓦葺きの壁があり、その内側全面に数多くの書籍その他の資料が並んでいる。
恐らく、邸内の書庫からあふれ出たものを整理したのであろう。
梅棹さんは、こうした膨大な蔵書を読むなかで得た「瞬間的なひらめき」と共に、自身による数多くの探検の記録などを、京大型カード(本書内での表記)の中に蓄積していった。
また、別途、新聞の切り抜きなども行っている。
そうした作業のため、梅棹さんは私設秘書を一人雇っていた。
これが「知の探検家」梅棹忠夫の源泉だった。
梅棹誕生(1920年6月、大正9)から一世紀たち、紙の書類はデジタルへと姿を変えて、暴力的とまで言える大量の情報が日々流れ続けている。
梅棹さんが、インターネット時代に活躍できていたならば、どのような「続・知的生産の技術」を書いたであろうか。
さて、本書の内容については、岩波書店『図書』連載中から興味を持っていたので、岩波新書として発売後、程なくして購入した。
大学4年生の時、アポロ11号・月面着陸のすぐ後の頃である。
1969年8月19日(昭和44)、瀬川書店(徳島・蔵本駅前)。
(1969年8月11日第2刷/初版は1969年7月21日第1刷発行)
つまり、この度の電子書籍は2冊目ということになる。
私は、本書の中で、数多くの人たちが梅棹さんの周りにいることを知った。
その中の一部を挙げさせていただければ、今西錦司、川喜田二郎、吉良竜夫、中尾佐助、あるいは湯川秀樹、桑原武夫の皆さま方などなどである。
本書が、こうした方々との交流の中から生まれたという経緯も分かってきた。
社会人になってからの私の読書は、これらの方々の著作を、アトランダムにつなぎ合わせて読み継ぐことから始まった。
それが、私の「知的生産の技術」の第一歩であった。
(『独学大全』技法21.文献たぐりよせ)
生誕100年にちなんだ記事だったように思う。
(1920年6月:大正9年生まれ、2010年7月死去)
趣のある中庭の向こうには瓦葺きの壁があり、その内側全面に数多くの書籍その他の資料が並んでいる。
恐らく、邸内の書庫からあふれ出たものを整理したのであろう。
梅棹さんは、こうした膨大な蔵書を読むなかで得た「瞬間的なひらめき」と共に、自身による数多くの探検の記録などを、京大型カード(本書内での表記)の中に蓄積していった。
また、別途、新聞の切り抜きなども行っている。
そうした作業のため、梅棹さんは私設秘書を一人雇っていた。
これが「知の探検家」梅棹忠夫の源泉だった。
梅棹誕生(1920年6月、大正9)から一世紀たち、紙の書類はデジタルへと姿を変えて、暴力的とまで言える大量の情報が日々流れ続けている。
梅棹さんが、インターネット時代に活躍できていたならば、どのような「続・知的生産の技術」を書いたであろうか。
さて、本書の内容については、岩波書店『図書』連載中から興味を持っていたので、岩波新書として発売後、程なくして購入した。
大学4年生の時、アポロ11号・月面着陸のすぐ後の頃である。
1969年8月19日(昭和44)、瀬川書店(徳島・蔵本駅前)。
(1969年8月11日第2刷/初版は1969年7月21日第1刷発行)
つまり、この度の電子書籍は2冊目ということになる。
私は、本書の中で、数多くの人たちが梅棹さんの周りにいることを知った。
その中の一部を挙げさせていただければ、今西錦司、川喜田二郎、吉良竜夫、中尾佐助、あるいは湯川秀樹、桑原武夫の皆さま方などなどである。
本書が、こうした方々との交流の中から生まれたという経緯も分かってきた。
社会人になってからの私の読書は、これらの方々の著作を、アトランダムにつなぎ合わせて読み継ぐことから始まった。
それが、私の「知的生産の技術」の第一歩であった。
(『独学大全』技法21.文献たぐりよせ)