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テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか? 単行本 – 2014/6/20
購入オプションとあわせ買い
そこにあるのは、より漸進的かつ驚きに満ち、
必然的かつ進化的な姿だ」
――『エコノミスト』誌
「テクノロジーの中を流れる力はただのぼんやりした情報に過ぎないのか。その力は自
然なのか非自然なのか。テクノロジーはどういう意味で自然と異なるのか。テクノロジー
は人間の知性から出てきたものであることは明らかだが、われわれの知性とどう違うのか」
(本文より)
人類は石器からコンピューターに至るまで、さまざまなテクノロジーを生み出してきた。
これらに通底する普遍的な法則、そしてテクノロジーの本質とは、いったい何なのだろう
か?
現代のテクノロジーが向かう情報化、非物質化への流れを踏まえつつ、生命における生
態系と同等なものとして、テクノロジーの活動空間を〈テクニウム〉と定義し、そこでの
テクノロジーの振る舞いを、複雑性、多様性、自由、美、感受性、構造性、遍在性などの
概念で読み解いていく。
雑誌『Wired』の創刊編集長であり、毎月50万人のユニークユーザーを持つサイト Cool
Tools も運営する著者が贈る、テクノロジー版〈種の起源〉。
「これまで読んだなかで最高のテクノロジー本だ」
ニコラス・ネグロポンテ(MITメディアラボ創設者)
「深さと広さにおいて比肩するもののない、
現代的な思考法の画期となるだろう本だ」
ブライアン・イーノ(ミュージシャン)
「斬新な洞察に満ちた本だ」
マット・リドレー(『繁栄』)
- 本の長さ456ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2014/6/20
- 寸法18.8 x 2 x 12.8 cm
- ISBN-104622077531
- ISBN-13978-4622077534
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商品の説明
著者について
著述家、編集者。1984-90年、雑誌 Whole Earth Review の発行編集を行う。1993年には
雑誌 Wired を共同で設立。以後、1999年まで編集長を務める。現在は、毎月50万人のユニ
ークビジターを持つウェブサイト Cool Tools を運営している。ハッカーズ・カンファレ
ンスの共同創設者であり、先駆的なオンラインサービス WELL の設立にも携わる。著書『ニ
ューエコノミー勝者の条件』(1999、ダイヤモンド社)『「複雑系」を超えて』(1999、
アスキー)他。ホームページ http://kk.org/.
服部桂(はっとり・かつら)
1951年生まれ。1978年、朝日新聞社入社。1987ー89年、MITメディアラボ客員研究員。科学
部記者や雑誌編集者を経て、現在はジャーナリスト学校シニア研究員。著書『メディアの
予言者』(2001、廣済堂出版)『人工現実感の世界』(1991、工業調査会)『人工生命の
世界』(1994、オーム社)。訳書コープランド『チューリング』(2013、NTT出版)他。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2014/6/20)
- 発売日 : 2014/6/20
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 456ページ
- ISBN-10 : 4622077531
- ISBN-13 : 978-4622077534
- 寸法 : 18.8 x 2 x 12.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 62,876位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8,058位ビジネス・経済 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について

1951年、東京都出身。早稲田大学理工学部で修士取得後、1978年に朝日新聞に入社。80年代の通信自由化の際、米通信系ベンチャー企業に出向。87年から2年間、米MITメディアラボ客員研究員。科学部を経て、出版局で「ASAHIパソコン」副編集長、「DOORS」編集委員、「PASO」編集長。94年に新聞紙面で初のインターネット連載。その後、企画報道部でデジタル面、科学部でbeを担当。11年から同社ジャーナリスト学校シニア研究員。メディア研究誌「Journalism」編集を担当。16年に朝日新聞社を定年退職後フリーに。関西大学客員教授。早稲田大学、女子美術大学、大阪市立大学などで非常勤講師を務める。
著書に「人工現実感の世界」(日刊工業新聞 技術・科学図書文化賞優秀賞)「人工生命の世界」「メディアの予言者」「マクルーハンはメッセージ」「VR原論」など。訳書に「ハッカーは笑う」「人工生命」「デジタル・マクルーハン」「パソコン創世『第3の神話』」「ヴィクトリア朝時代のインターネット」「謎のチェス指し人形ターク」「チューリング 情報時代のパイオニア」「テクニウム テクノロジーはどこへ向かうのか?」「<インターネット>の次に来るもの」「ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生」など。また「日米デジタルテレビ戦争」(共訳)「『複雑系』を超えて」(監修)「アナロジア AIの次に来るもの」(監修)などがある。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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テクノロジーは生命的であり、かつこのトレンドは今後より明確になっていく、という主張はかなり突飛とも言えますが、私は個人的には共感できました。厳密な意味での生命があるかどうか、という意味ではなく、「生命的」なふるまいをするであろうこと、それはAIの登場で明らかだということです。本書を読んで思い出したのが新スタートレックに登場するデータというアンドロイドです。このデータは少佐という階級なのですが、あるエピソードで、データが人なのかモノなのかについてピカード艦長と司令部の間で大きな議論に発展します(タイトルは覚えていませんがすごく感銘を受けたのを記憶しています)。その意味ではケリー氏の問いかけは数百年後も結論の出ていない論点なのかもしれません。
また本書を読んで思い出したのが岩井克人氏による法人論です。こちらは全くテクノロジーとは関係ありませんが、岩井氏は日本人が「法人」をヒトとしてみていること、対する欧米人は法人を「モノ」とみていることを指摘しています。もし日本人が「法人」をヒトとして見ているのなら、テクノロジー(あるいはテクニウム)を生き物とみることもあながちずれていないのではないか。近代社会はすべてのものをイチかゼロで弁別したがりますが、それこそ量子コンピュータが日常生活に浸透してくるころには、「A or B」ではなく「A and B」という世界観こそが正しくなるでしょう。そしてそうなればなるほどケリー氏のテクニウム観は説得力を増しているのではないかと思いました。
更にあまり未来のことは書かれていません。
簡単に言うとこのまま技術・AIが発展するだろう、程度です。レイ・カーツワイルのポスト・ヒューマンに比べると非常にマイルドです。
後半にアーミッシュのことが多く書かれていますが、興味ない人にとっては面白くないと思います。
技術の過去が多く書かれているので、歴史に興味ある人は手にとって見ると良いかもしれません。
未来のことを知りたければ、「インターネットの次に来るもの」の方が良いと思います。
あと、価格も高いです…ただし金額相当の内容はあったと思います。
まず本書は未来を予言するものでもありませんし、テクノロジーの歴史の書でもありません。テクノロジー(テクニウム)は機械やハードウェアの範疇を超えて、文化や社会組織、法体系、哲学的概念などの形で人類と共にありますが(p.18)、テクノロジーの進化は独自の方向性を持ち自律しています。この人類とテクノロジーの共進化は今後も続くと結論付ける、単純明快な内容になっています。
また、テクノロジーとテクニウムの差を意識することなく読み進み、テクニウムはテクノロジーを含む、より広い概念と理解しておけばよいでしょう。
第Ⅰ部 起源
人類がテクノロジーとともにあったことを説明しています。一例としてネアンデルタール人とクロマニョン人(われわれの祖先)の比較がされています。ネアンデルタール人はクロマニョン人より大きな脳を持っていましたが、ネアンデルタール人には何かが欠けていた。ネアンデルタール人の作った矢じりは、どの地域でもどの時代でも同じものが出土しますが、クロマニョン人の矢じりは地域と時代で変化しているのです。環境に合わせてイノベーションが行われているのです。ネアンデルタール人の食料はマンモスやトナカイなどの肉で、種類が限られていました。ネアンデルタール人の絶滅は、これらの動物の絶滅と関連していたのかもしれません。クロマニョン人は動物の肉ばかりでなく、植物や魚をとる技術を開発して生き延びたと考えられます。
第Ⅱ部 原則
生物の収束進化(収斂進化)を例示し、テクノロジーも収束すること、つまりテクノロジーの進化も方向性を持って自律していることを示そうとします。目という精巧な器官が突然変異の連続で進化するとは考えにくいので、神の創造であると信じる人たちがいますが、これも突然変異(偶然性)だけでなく、生物の構造的な必然性が働き、自然選択が行われて適応・進化すると説明されます。テクノロジーも偶然と必然が働きますが、選択は自然ではなく人の集団によってなされるとします。
第Ⅲ部 選択
1978~95年の間で、全米各地の大学・航空会社などに爆弾を送り付けたユナボマー(本名;テッド・カジンスキー)を紹介し、テクノロジーは人類にわざわいをもたらすという彼の犯行動機に共感を示しながらも、当然これを退けます。
また、ドイツからアメリカの移民となった宗教団体で、テクノロジーから距離を置き、自給自足の生活をするアーミッシュを好意を持って紹介しますが、これも否定します。
これら2つの生き方の代わりに、人類とテクノロジーが自立共生(conviviality)する立場を支持します。自立共生はイヴァン・イリイチの用語ですが( コンヴィヴィアリティのための道具 (ちくま学芸文庫) )、イリイチも道具としてのテクノロジーは良いものと悪いものがあることを指摘しています。そして著者は、各テクノロジーの性格を決めるのは、われわれだと結ぶのです。
第Ⅳ部 方向
ここの宇宙論は無視するか、詩として読めばよいでしょう。
この第Ⅳ部は、個人にとってテクノロジーはどういう意味があるかが述べられます。天才音楽家モーツァルトと映画監督ヒッチコックと自分の息子の写真を並べて、彼らの可能性を解放してくれるのがテクノロジーであるとします。テクノロジーがなかったら、つまりピアノもカメラも、そして未来のテクノロジーがなかったら、彼らは彼らではあり得ないのです。
イリイチの自立共生は、人と道具を対等に置いたうえで、両者の共生をいうのですが、筆者のケリーもテクノロジーを対等に位置づけます。ある意味、人間中心主義を批判している点では、グレアム・ハーマンらの思弁的実在論にも通じるところがあるように思われます。