丸山眞男の日本ファシズム論を批判した第一章の初出は1976年、著者がまだ大学院生の頃で、実証史学の視点から丸山政治学の死角を鋭く抉った画期的論考だった。丸山は近代的政治主体の形成という理想のネガとして日本社会を描いてみせ、その後進性を否定することで戦後日本の変革を導こうとした。だがそこに描き出された日本社会は実証に耐えない虚像であった。
東京裁判とニュルンベルグ裁判について、丸山の恣意的な資料操作が批判され、また観念的な青年将校の無計画な暴発とされる二・二六事件が、極めて具体的な国家改造プラン(北一輝)と政権奪取プログラムに基づく「革命」の企てであったことが示される。伝統的秩序原理を軸とする天皇制のもとでは、下からの変革のエネルギーは支配秩序に吸収され、利用されると丸山は考えたが、橋川文三がつとに指摘したように、明治国家の支配原理を峻拒する青年層の自我の形成を見ていない。
本書を読むまで、丸山の日本ファシズム論は一面的であるにせよ、それなりの説得力があると思っていたが、大きな間違いだった。かつて明治維新が市民革命であったかどうかという論争があったが、上山春平(『明治維新の分析視点』)が見事にその革命性を証明したように、筒井は日本の「超国家主義」が、成就はしなかったものの、革命と呼ぶに値する内実を伴っていたことを明らかにした。
学問が単なる事実の認識にとどまらず、現実社会の問題関心によって導かれるのはよい。むしろそうあるべきで、我々はそのことを丸山から教えられた。だがそれにはとてつもなく迂遠で地道な作業が要求される。それを余りに軽視したことは丸山政治学の陥穽であり誤算であった。

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昭和期日本の構造: 二・二六事件とその時代 (講談社学術文庫 1233) 文庫 – 1996/6/1
筒井 清忠
(著)
昭和期の戦後・戦中期の日本の政治・社会をその深部から解明するために、この時代を中心的に動かした軍部、とりわけ陸軍を構造的に分析。著者はまず日本ファシズム論についての素朴な疑問から出発、陸軍の中枢部でのエリート派閥抗争を概観し、また昭和陸軍の原型に迫る。さらに、近代日本史上最大のクーデターである二・二六事件を徹底的に考究。激動の昭和を歴史社会学的に考察した画期的論考。
- 本の長さ395ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日1996/6/1
- ISBN-104061592335
- ISBN-13978-4061592339
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商品の説明
著者について
1948年大分県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。奈良女子大学文学部助教授などを経て、現在京都大学大学院文学研究科教授。著書に『日本型「教養」の運命』『石橋湛山』『現代思想の社会史』など多数。
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2012年6月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
精緻に戦前期の諸思想の潮流やその変転の経緯を辿り、最終的に陸軍内部での統制派対皇道派として激突するに到った一連の流れを詳述しているのですが、とにかく論証の緻密さと実証性の高さが光ります。
クライマックスの2・26事件の経過を詳述した部分は、本当にスリリング。
私はこれまで決起した青年将校たちは「志が純粋だけど、智恵が足りない血の気の多い連中」といういささか侮った理解をしていて、このクーデターは「失敗するべくして失敗した愚かな試み」だと考えていたのですが、本書で描き出された「かなりの程度まで成功に近づいていた実現可能性の高い試みだった」という仮説は、実に新鮮で意外性に満ちた提示としてかなりの説得力を感じました。
決起当日、各所を襲撃した後に陸軍省の高官たちを前にして事態の収拾(暫定政権の樹立)を要請した青年将校たちの行動を、「襲撃や暗殺などやるだけのことはやったけど、その後に何をするか具体的なプランを持っていなかったがゆえの無策の現れ」とする通説が提示する視点ではなく、必要な手(襲撃と暗殺)を打った上で九分通りまで成功を手にした後の最後の詰めの段階に入った行動として理解する切り取り方は、はじめて目にしました。
巷間言われている「昭和天皇の意志が「断固討伐」というものである以上、青年将校たちに勝ち目はなかった」という理解を、史料を駆使した論述によって、たとえ天皇の意志がどうであろうとそれまでの日本の政治構造である「補弼の体系」が残り、重臣や閣僚や陸軍の首脳らが岡田内閣の倒閣と暫定内閣の成立とを天皇の意志を無視して唱え続けた場合に「天皇は最後までそれに抗しきれたか?」という視点を導入することにより、画期的とも言える「歴史のif」を鮮明に提示しています。
もしも天皇が「暫定内閣成立の承認」を与えていたなら、奉勅命令による「断固討伐」が行われたとしても、最終的には2・26事件の反乱将兵達に厳罰に課して処刑するというところまでは行かず、「反乱部隊の降伏の後、一時的な逮捕・投獄を経て早期に出所」という結末を辿った可能性が高いこと。
その場合、事件後には皇道派に同情的な姿勢を持った将官を戴いた「暫定内閣(真崎甚三郎内閣)」が天皇の遺志を曲げながら自派の拡大を図るという状況が現出した可能性が示唆されており、5・15事件で逮捕された陸海軍の軍人たちに対して、そのほとんどが禁固何年という軽い刑罰しか与えられず、しかも大半が刑期半ばで釈放されている前例を考えれば、青年将校たちが「どう転んだってそうそう自分たちが死刑にまでなることはあるまいから、とりあえず皇道派に近い政権さえ樹立させてしまえばあとはどうとでもなる」という成算を立てたとしても、当時の時代状況や軍を取り巻く空気を考えてみれば、それほど甘い見込みではなかったろうという推論には相応の説得力があります。
またそのような理解を前提にしてみれば、決起趣意書のとともに提出された要望事項の中で取り上げられた、敵対する統制派の中心人物と目される「根本明・武藤章・片倉衷の即時罷免」という要求事項が、彼らの行動倫理の低劣さを表すモノとして受け取られがちだったのに対して、彼らなりの「最後の詰め」を実現するために「必要な一手」だったという指摘にも頷けるところです。
2・26事件の終息に際して示された片倉の緻密な差配や、事件後に寺内陸相の背後で粛軍人事を押し通しきった武藤章の豪腕と胆力などは、獄中の青年将校たちの息の根を止めるための大きな推進力となっていたという事実があります。
もしも彼らが早い段階でこのクーデター劇の舞台から排除され、天皇と木戸幸一内大臣秘書官が主導した「暫定内閣の成立阻止」という強固な行動指針が堅持されていなかったなら、最終的に青年将校たちの側の勝利で終わっていた可能性が高かったという推論を描き出されてみれば、この「敵対派閥の露骨な排除」という一見幼稚にも見える主張の裏に、彼我の持つ実力を冷静に計算した上での的確な現状把握の上から出た当然の選択だったという結論も説得力を持ちます。
反乱軍が真っ先に血祭りに上げた閣僚や重臣の面々、また将官級の軍人として唯一暗殺の対象とされた渡辺錠太'カ教育総監、そして実際には行われなかった第二次攻撃リストに載ったメンバー及び逮捕や罷免を要求した将官である宇垣・小磯・建川といった面々をよくよく検討すると皇道派にシンパシーを持っていない人々がみごとに狙い撃ちされており、襲撃対象から漏れた人々はいずれも皇道派に同情的ないしは中立的な態度を示していた人々であること。
これらの面々だけが生き残って「皇軍相撃を避ける」という名目で皇道派系の人々の主導による穏当な終息がなされていたのならば、状況はかなり変わっていた可能性が高く、またその際に武藤や片倉ら「切れ者」の排除(殺害)に成功していたならばその可能性はさらに高まっていただろうこと。
さらに、これまで「青年将校たちに振り回されるだけだった無能な高官たち」という図式で語られる非皇道派・非統制派の各将官たちの行動にも、それなりにしたたかな計算や打算が存在していたことが指摘されており、それやこれやを合わせて、通俗的に描かれていた「2・26事件像」を、根底から覆して新たな光を当てた本だと感じました。
大変に面白い本なのですが、本業が専門の研究者であり記述内容もかなり専門性の高いものとなっているために「読み易い」とはとても言い難いものであるため、あえて星を一つ減らしました。もう少し自分のような初心者にとっても読みやすい文章を心がけて、かみ砕いた記述内容にしてくれていたら万人にお勧めできるという意味で5つ星にしていたでしょう。
軍国太平記 (中公文庫)
クライマックスの2・26事件の経過を詳述した部分は、本当にスリリング。
私はこれまで決起した青年将校たちは「志が純粋だけど、智恵が足りない血の気の多い連中」といういささか侮った理解をしていて、このクーデターは「失敗するべくして失敗した愚かな試み」だと考えていたのですが、本書で描き出された「かなりの程度まで成功に近づいていた実現可能性の高い試みだった」という仮説は、実に新鮮で意外性に満ちた提示としてかなりの説得力を感じました。
決起当日、各所を襲撃した後に陸軍省の高官たちを前にして事態の収拾(暫定政権の樹立)を要請した青年将校たちの行動を、「襲撃や暗殺などやるだけのことはやったけど、その後に何をするか具体的なプランを持っていなかったがゆえの無策の現れ」とする通説が提示する視点ではなく、必要な手(襲撃と暗殺)を打った上で九分通りまで成功を手にした後の最後の詰めの段階に入った行動として理解する切り取り方は、はじめて目にしました。
巷間言われている「昭和天皇の意志が「断固討伐」というものである以上、青年将校たちに勝ち目はなかった」という理解を、史料を駆使した論述によって、たとえ天皇の意志がどうであろうとそれまでの日本の政治構造である「補弼の体系」が残り、重臣や閣僚や陸軍の首脳らが岡田内閣の倒閣と暫定内閣の成立とを天皇の意志を無視して唱え続けた場合に「天皇は最後までそれに抗しきれたか?」という視点を導入することにより、画期的とも言える「歴史のif」を鮮明に提示しています。
もしも天皇が「暫定内閣成立の承認」を与えていたなら、奉勅命令による「断固討伐」が行われたとしても、最終的には2・26事件の反乱将兵達に厳罰に課して処刑するというところまでは行かず、「反乱部隊の降伏の後、一時的な逮捕・投獄を経て早期に出所」という結末を辿った可能性が高いこと。
その場合、事件後には皇道派に同情的な姿勢を持った将官を戴いた「暫定内閣(真崎甚三郎内閣)」が天皇の遺志を曲げながら自派の拡大を図るという状況が現出した可能性が示唆されており、5・15事件で逮捕された陸海軍の軍人たちに対して、そのほとんどが禁固何年という軽い刑罰しか与えられず、しかも大半が刑期半ばで釈放されている前例を考えれば、青年将校たちが「どう転んだってそうそう自分たちが死刑にまでなることはあるまいから、とりあえず皇道派に近い政権さえ樹立させてしまえばあとはどうとでもなる」という成算を立てたとしても、当時の時代状況や軍を取り巻く空気を考えてみれば、それほど甘い見込みではなかったろうという推論には相応の説得力があります。
またそのような理解を前提にしてみれば、決起趣意書のとともに提出された要望事項の中で取り上げられた、敵対する統制派の中心人物と目される「根本明・武藤章・片倉衷の即時罷免」という要求事項が、彼らの行動倫理の低劣さを表すモノとして受け取られがちだったのに対して、彼らなりの「最後の詰め」を実現するために「必要な一手」だったという指摘にも頷けるところです。
2・26事件の終息に際して示された片倉の緻密な差配や、事件後に寺内陸相の背後で粛軍人事を押し通しきった武藤章の豪腕と胆力などは、獄中の青年将校たちの息の根を止めるための大きな推進力となっていたという事実があります。
もしも彼らが早い段階でこのクーデター劇の舞台から排除され、天皇と木戸幸一内大臣秘書官が主導した「暫定内閣の成立阻止」という強固な行動指針が堅持されていなかったなら、最終的に青年将校たちの側の勝利で終わっていた可能性が高かったという推論を描き出されてみれば、この「敵対派閥の露骨な排除」という一見幼稚にも見える主張の裏に、彼我の持つ実力を冷静に計算した上での的確な現状把握の上から出た当然の選択だったという結論も説得力を持ちます。
反乱軍が真っ先に血祭りに上げた閣僚や重臣の面々、また将官級の軍人として唯一暗殺の対象とされた渡辺錠太'カ教育総監、そして実際には行われなかった第二次攻撃リストに載ったメンバー及び逮捕や罷免を要求した将官である宇垣・小磯・建川といった面々をよくよく検討すると皇道派にシンパシーを持っていない人々がみごとに狙い撃ちされており、襲撃対象から漏れた人々はいずれも皇道派に同情的ないしは中立的な態度を示していた人々であること。
これらの面々だけが生き残って「皇軍相撃を避ける」という名目で皇道派系の人々の主導による穏当な終息がなされていたのならば、状況はかなり変わっていた可能性が高く、またその際に武藤や片倉ら「切れ者」の排除(殺害)に成功していたならばその可能性はさらに高まっていただろうこと。
さらに、これまで「青年将校たちに振り回されるだけだった無能な高官たち」という図式で語られる非皇道派・非統制派の各将官たちの行動にも、それなりにしたたかな計算や打算が存在していたことが指摘されており、それやこれやを合わせて、通俗的に描かれていた「2・26事件像」を、根底から覆して新たな光を当てた本だと感じました。
大変に面白い本なのですが、本業が専門の研究者であり記述内容もかなり専門性の高いものとなっているために「読み易い」とはとても言い難いものであるため、あえて星を一つ減らしました。もう少し自分のような初心者にとっても読みやすい文章を心がけて、かみ砕いた記述内容にしてくれていたら万人にお勧めできるという意味で5つ星にしていたでしょう。
軍国太平記 (中公文庫)
2016年1月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本の購入のきっかけは、
東日本大震災の時の日本(政府および官僚組織)の動き方が、大東亜戦争機と同じだと感じたことから始まった日本とは何かという問いからです。
戦後日本の政治、アメリカとの関係などを調べていくうちに戦後だけではどうしても理解できない部分があることがわかり、この本を購入しました。
この著作を読んで、また新たな疑問が起こってきました。
『なぜ、官僚である軍人が、国家のことを考え論じ、国家を動かして行ったのか』です。
戦前軍人には、投票権はなかった。政治に関わらないようにされていたはずなのに、このようはどうしてでしょうか。
もしかすると戦前から、政治は、官僚主導であったのかと考えさせられました。
もっと読み進めなければなりませんが、戦前の官僚のしたことを調べていかなければ今の日本はわかってこないとわかりました。
東日本大震災の時の日本(政府および官僚組織)の動き方が、大東亜戦争機と同じだと感じたことから始まった日本とは何かという問いからです。
戦後日本の政治、アメリカとの関係などを調べていくうちに戦後だけではどうしても理解できない部分があることがわかり、この本を購入しました。
この著作を読んで、また新たな疑問が起こってきました。
『なぜ、官僚である軍人が、国家のことを考え論じ、国家を動かして行ったのか』です。
戦前軍人には、投票権はなかった。政治に関わらないようにされていたはずなのに、このようはどうしてでしょうか。
もしかすると戦前から、政治は、官僚主導であったのかと考えさせられました。
もっと読み進めなければなりませんが、戦前の官僚のしたことを調べていかなければ今の日本はわかってこないとわかりました。
2010年9月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
数ある二・二六事件関係書籍にあって、この本の最大のセールポイントは、蹶起将校たちを「天皇主義」と「改造主義」に明晰に分類していることでしょう。詳しくは本文に譲りますが、「天皇主義」では蹶起とはあくまで昭和維新への捨石になる集団テロリズム。断じて政治的なクーデターではありません。したがって軍事行動後の上部工作は禁じ手となり、畏れ多くも大権私議にあたり、考えるべき領域ではありません。直接行動の後は大御心に待つことが求められ、いつでも潔く自決する覚悟が必要です。三島由紀夫はこれをロマン主義美学の立場から「道義的革命」と賞賛しました。「改造主義」は北一輝の「日本改造法案大綱」を根拠に、支配層の政界財閥軍閥からの権力の奪取奉還を図ります。蹶起とは天皇を奉じて近代的民主化をめざすクーデターです。ここでの天皇は明治維新の「玉」に近い存在といえるでしょう。だから第一段階の要人殺害と中央官衙占拠がおわれば、第二段階では蹶起要求項目を天皇をはじめ権力者に伝える政治工作が不可欠です。そして結論的に云えば、東京陸軍軍法会議では、「改造主義」の痕跡はすべて抹消隠蔽されています。そこでは純真な青年将校たちは、北一輝の革命思想の餌食になったとされます。つまり「天皇主義」だけが表に出たのです。この著者の卓抜な見解は、丸山真男をはじめとする政治学者たちの二・二六事件や日本ファシズム論への反省を迫るものです。まあそれは学者の世界だとして、以上のことを知るだけでもこの本の価値はあります。ただし日本の学者の通常の文体ですから、そこから物語性やサスペンスを求める向きには、不向きでしょう。「ちくま文庫」に入る前は、講談社「学術文庫」でした。
2014年11月27日に日本でレビュー済み
本書は昭和前期の帝国陸軍についての論文7篇を収録したものである。全体を通して感じるのは、陸軍軍人は運動が組織内の間は順調だが、戦争という外の予測不能な現実に向き合うと至る所に綻びが生じて統制が効かなかったということだ。本来軍人はこの現実に対処するための存在なのだが、所詮は官僚で人脈と人事とで出世することしか頭になかったようだ。この手の人間は今日の政府にも民間企業にもいるので昔話ではすまない教訓である。
第3第4章は陸軍の人脈と人事との流れを追った論文である。永田鉄山が結成した二葉会は「長州閥打倒」「総動員体制」を掲げて同志を結集し、時事問題である満蒙進出をテーマに加え「満洲事変開始期には中央部の主要中堅ポストをほぼ独占する」に至る。その後派閥の分裂、闘争を経て「派閥解消の盟約は二〇年後に『東條軍閥』を生み出し、その下で戦争に備えるのではなく、戦争の要請による『総動員体制の構築』が行われる」国民に迷惑な形で目的が達成される。興味深いのは、石原莞爾(満洲事変)→武藤章(綏遠事件・支那事変拡大)→田中新一・服部卓四郎・辻政信(日米戦争)という、ある戦を起こした者が新たな戦を回避しようとして次の戦を起こす者に逐われる下克上の連鎖である。最初の一歩を踏み違えたことが亡国につながったことを思えば、吾人も心しなければなるまい。
第5第6第7章では二・二六事件を無計画な暴発とする従来の見方に異を唱える。青年将校には改造派(「日本改造法案大綱」実現派)と天皇派とがあり、前者が「ソビエット革命武装暴動指導要領」に沿って、倒閣・反対派一掃→皇道派暫定政権→青年将校革命政権という「かなり綿密なクーデター政権奪取計画を企てていた」ことを立証している。事件後は武藤章が用済みになった陸軍大将を馘首して実権を握ることになるが、自業自得とはいえ派閥の若手にかつがれて踊った老人たちの末路には哀れをもよおす。
第2章は昭和初期の平準化思想(社会主義思想・総力戦思想・一君万民思想)の顛末を論じたもので、日本が超国家主義に至った社会背景を理解する上で貴重な論文である。最後に第1章は丸山真男の「日本ファシズム」論に筆誅を加えたもので、ソ連の崩壊した今日では著者と何れに軍配が上がるかは論ずるまでもない無用の章に思われる。
第3第4章は陸軍の人脈と人事との流れを追った論文である。永田鉄山が結成した二葉会は「長州閥打倒」「総動員体制」を掲げて同志を結集し、時事問題である満蒙進出をテーマに加え「満洲事変開始期には中央部の主要中堅ポストをほぼ独占する」に至る。その後派閥の分裂、闘争を経て「派閥解消の盟約は二〇年後に『東條軍閥』を生み出し、その下で戦争に備えるのではなく、戦争の要請による『総動員体制の構築』が行われる」国民に迷惑な形で目的が達成される。興味深いのは、石原莞爾(満洲事変)→武藤章(綏遠事件・支那事変拡大)→田中新一・服部卓四郎・辻政信(日米戦争)という、ある戦を起こした者が新たな戦を回避しようとして次の戦を起こす者に逐われる下克上の連鎖である。最初の一歩を踏み違えたことが亡国につながったことを思えば、吾人も心しなければなるまい。
第5第6第7章では二・二六事件を無計画な暴発とする従来の見方に異を唱える。青年将校には改造派(「日本改造法案大綱」実現派)と天皇派とがあり、前者が「ソビエット革命武装暴動指導要領」に沿って、倒閣・反対派一掃→皇道派暫定政権→青年将校革命政権という「かなり綿密なクーデター政権奪取計画を企てていた」ことを立証している。事件後は武藤章が用済みになった陸軍大将を馘首して実権を握ることになるが、自業自得とはいえ派閥の若手にかつがれて踊った老人たちの末路には哀れをもよおす。
第2章は昭和初期の平準化思想(社会主義思想・総力戦思想・一君万民思想)の顛末を論じたもので、日本が超国家主義に至った社会背景を理解する上で貴重な論文である。最後に第1章は丸山真男の「日本ファシズム」論に筆誅を加えたもので、ソ連の崩壊した今日では著者と何れに軍配が上がるかは論ずるまでもない無用の章に思われる。