古典本にしてはわかりやすい言葉で書かれている。
翻訳も素晴らしいのだろう。
至る所に自分がこれまでの人生でぼんやりと感じてきたことが明快な文章で記述されており、何度も感銘を受けた。
これからの人生で悩みや迷いが生じた時など、何度でも読み返したい最高級の名著だと思う。
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幸福について (光文社古典新訳文庫 Bシ 1-2) 文庫 – 2018/1/11
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- 本の長さ425ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2018/1/11
- 寸法10.6 x 1.5 x 15.2 cm
- ISBN-104334753698
- ISBN-13978-4334753696
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2018/1/11)
- 発売日 : 2018/1/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 425ページ
- ISBN-10 : 4334753698
- ISBN-13 : 978-4334753696
- 寸法 : 10.6 x 1.5 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 16,633位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 39位光文社古典新訳文庫
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2023年10月14日に日本でレビュー済み
幸福に生きるための人生訓、処世訓のような内容で、人との付き合い方というよりは人との距離の取り方、そして一人で居ることについて洞察を深める。人付き合いとか社会性が大事と言われるが、そればかりではないと論じて、人それぞれの個性を突き詰めて一人で生きることが望ましい人もいるとする。世の中への辛辣な批判もあり、ユーモラスな喩えは読んでいて楽しい。古代ギリシア、ローマ、その後の様々な哲学から引用して数多くの金言が掲載。
ショーペンハウアーというと『自殺について』が有名で負のイメージがあるが、本書の解説にあるように最悪のこの現実を受け入れて、そこに生きる人間が苦悩をどのように克服するかを哲学するのが本来の姿のようだ。ちょうど今から200年前の当時、ヘーゲル、カントに代表される観念論の理性主義が中心で、楽観的な理性、科学の進歩に浮足立った哲学がもてはやされていた。しかし実際の現実は、ナポレオン戦争で荒廃し、理性的であるはずの世の中は理性では説明がつかなくなっていた。貧困の窮状が生まれ経済格差も如実になっていたという。ヘーゲルのいう美しい弁証法では自然の猛威もコレラの蔓延も説明できない。
ショーペンハウアーは理性ではなく意志が人間の本質だと説く。意志は盲目的に貪欲に人間を突き動かす。そしてそれは悲惨な状態に導いていく。だからこの暴れ馬を否定し、手綱をしっかり握り制御しなければならないと説く。
人と人とのつながり(付き合い)が重視される昨今、そういう社会性礼賛の風潮、あまり深く考えずに絆とかつながりをもてはやしているが、本書を読むと考えさせられる部分がある。ショーペンハウアーは知性の有無によって、付き合い方に違いが生まれることを説く。知性が高くなり自らの内に多くを持つようになれば、外に何かを求めることはなくなり、むしろ上流階級の暇つぶしのカードゲームやおしゃべり、様々な付き合いは煩わしいものでしかない。幸福はそもそも内側から生まれるもので、外側にある金や名誉から生まれないという。
人付き合いでは互いに同調して節度を守るようになり、逆にこのことは自分自身の自由が制限されるという論理から、孤独こそ自由だという。なるほど確かに。日本では同調することは社会性の面でも個人の面ですらも、美徳のように思われているが、ショーペンハウアーの観点に立つとズレているのかもしれない。孤独は孤立と同義となり、社会から疎外された状態と思われ、本人にもその空気は伝わり疎外感を抱くことになる。
しかし孤独を愛する人は自由を持っていることを自負し、自尊心の栄養にもできるのではないかと本書を読んでいて思った。孤独でいるべきではないというこの国の同調圧力を忘れることができれば、幸福になれるのである。つまり本書では幸福は外から享楽として訪れるのではなく、内なる知性から生まれると同時に知性のある者は知性によって得た強い個性を独りでいることによって、自由として保つことができる。
ショーペンハウアーが指摘するように上流社会の付き合いは本来「惨めな存在」である人間を愉悦や享楽で飾るだけ飾って、終わりには幻滅が待っている。そしてそこでは嘘が蔓延する。凡庸な人々の中では知性という個性も活かせないばかりか、そこでは知性は嫌われる。本書はそのことをかなり辛辣に語っていて、この手のことで苦しんでいる人はスカッとするかもしれない。同じようなことを繰り返し述べていることからもショーペンハウアーは相当苦しんだのだろう。
幸福を求めるなら「あらゆる点で、想像力の手綱を握っておかなければならない」という。そして「空中楼閣を築かないようになさい」と後世のわたしたちをたしなめる。災難に対して意外だったのは、想像力はこの災難を肥大化させ、陰鬱な心象は拷問のようにすらなるという。また夜はこの想像力を歪めながら倒錯しながら巨大化させるという。スペインの諺「潤色された夜、純白の昼」はズバリその通りだ。夕方も深刻な問題を考えるのに適さないという。夕方や夜というのは体の調子も崩しがちだし、思考もネガティブになっていくのは確かにそんな気がする。想像力は悪い方に傾いていくと精神にも悪い影響を及ぼすし、感情を巻き込んでいくと不安や混乱に落ち込んでしまう。本書は想像力ではなく事態を認識力と判断力で眺め、感情を交えないようにすることを教える。幸福を考える際もこれが当てはまる。直観的なイメージにも注意が必要で、これは抽象的な考えよりも直接的であるために意志への働きかけが大きい。幸福はイメージによって作られることが多いと考えると、認識力や判断力をはねのけて直観的な意志にだけ従うような脳内になっていないだろうか。昨今は「直観を大事にしよう」という言説が幅を利かせている。ショーペンハウアーは「直観的なものは一目でさっと全体を見渡せるため、いつも一気に強烈な影響を与える」ために「直観性と直接性は心をわしづかみにし、心の安らぎを妨げたり、決意を揺るがせる」という。一方、思想や論拠はじっくりと時間をかけ段階的な検討が必要であるため、一気に見通せるものではなく、直観的なものが現れた時にその思考過程は凌駕されてしまう。
意志によって動く個性が現代では大切なこととされる。意志を持つことは現代の美学であり、個性が抑圧されてきた反動であり、また勝ち得たものである。これを思うと意志を否定することはできないが、幸福になるためにはどうするかという課題を混ぜ込んだ時に、意志の手綱を握ることは必要なのだと本書からわかる。全く意志を捨てるのは難しいが、直観的な享楽や贅沢に溺れず、直観に惑わされない思考の時間を持って、認識力と判断力に少しの時間を委ねるのはそれほど難しいことではなさそうである。
ショーペンハウアーというと『自殺について』が有名で負のイメージがあるが、本書の解説にあるように最悪のこの現実を受け入れて、そこに生きる人間が苦悩をどのように克服するかを哲学するのが本来の姿のようだ。ちょうど今から200年前の当時、ヘーゲル、カントに代表される観念論の理性主義が中心で、楽観的な理性、科学の進歩に浮足立った哲学がもてはやされていた。しかし実際の現実は、ナポレオン戦争で荒廃し、理性的であるはずの世の中は理性では説明がつかなくなっていた。貧困の窮状が生まれ経済格差も如実になっていたという。ヘーゲルのいう美しい弁証法では自然の猛威もコレラの蔓延も説明できない。
ショーペンハウアーは理性ではなく意志が人間の本質だと説く。意志は盲目的に貪欲に人間を突き動かす。そしてそれは悲惨な状態に導いていく。だからこの暴れ馬を否定し、手綱をしっかり握り制御しなければならないと説く。
人と人とのつながり(付き合い)が重視される昨今、そういう社会性礼賛の風潮、あまり深く考えずに絆とかつながりをもてはやしているが、本書を読むと考えさせられる部分がある。ショーペンハウアーは知性の有無によって、付き合い方に違いが生まれることを説く。知性が高くなり自らの内に多くを持つようになれば、外に何かを求めることはなくなり、むしろ上流階級の暇つぶしのカードゲームやおしゃべり、様々な付き合いは煩わしいものでしかない。幸福はそもそも内側から生まれるもので、外側にある金や名誉から生まれないという。
人付き合いでは互いに同調して節度を守るようになり、逆にこのことは自分自身の自由が制限されるという論理から、孤独こそ自由だという。なるほど確かに。日本では同調することは社会性の面でも個人の面ですらも、美徳のように思われているが、ショーペンハウアーの観点に立つとズレているのかもしれない。孤独は孤立と同義となり、社会から疎外された状態と思われ、本人にもその空気は伝わり疎外感を抱くことになる。
しかし孤独を愛する人は自由を持っていることを自負し、自尊心の栄養にもできるのではないかと本書を読んでいて思った。孤独でいるべきではないというこの国の同調圧力を忘れることができれば、幸福になれるのである。つまり本書では幸福は外から享楽として訪れるのではなく、内なる知性から生まれると同時に知性のある者は知性によって得た強い個性を独りでいることによって、自由として保つことができる。
ショーペンハウアーが指摘するように上流社会の付き合いは本来「惨めな存在」である人間を愉悦や享楽で飾るだけ飾って、終わりには幻滅が待っている。そしてそこでは嘘が蔓延する。凡庸な人々の中では知性という個性も活かせないばかりか、そこでは知性は嫌われる。本書はそのことをかなり辛辣に語っていて、この手のことで苦しんでいる人はスカッとするかもしれない。同じようなことを繰り返し述べていることからもショーペンハウアーは相当苦しんだのだろう。
幸福を求めるなら「あらゆる点で、想像力の手綱を握っておかなければならない」という。そして「空中楼閣を築かないようになさい」と後世のわたしたちをたしなめる。災難に対して意外だったのは、想像力はこの災難を肥大化させ、陰鬱な心象は拷問のようにすらなるという。また夜はこの想像力を歪めながら倒錯しながら巨大化させるという。スペインの諺「潤色された夜、純白の昼」はズバリその通りだ。夕方も深刻な問題を考えるのに適さないという。夕方や夜というのは体の調子も崩しがちだし、思考もネガティブになっていくのは確かにそんな気がする。想像力は悪い方に傾いていくと精神にも悪い影響を及ぼすし、感情を巻き込んでいくと不安や混乱に落ち込んでしまう。本書は想像力ではなく事態を認識力と判断力で眺め、感情を交えないようにすることを教える。幸福を考える際もこれが当てはまる。直観的なイメージにも注意が必要で、これは抽象的な考えよりも直接的であるために意志への働きかけが大きい。幸福はイメージによって作られることが多いと考えると、認識力や判断力をはねのけて直観的な意志にだけ従うような脳内になっていないだろうか。昨今は「直観を大事にしよう」という言説が幅を利かせている。ショーペンハウアーは「直観的なものは一目でさっと全体を見渡せるため、いつも一気に強烈な影響を与える」ために「直観性と直接性は心をわしづかみにし、心の安らぎを妨げたり、決意を揺るがせる」という。一方、思想や論拠はじっくりと時間をかけ段階的な検討が必要であるため、一気に見通せるものではなく、直観的なものが現れた時にその思考過程は凌駕されてしまう。
意志によって動く個性が現代では大切なこととされる。意志を持つことは現代の美学であり、個性が抑圧されてきた反動であり、また勝ち得たものである。これを思うと意志を否定することはできないが、幸福になるためにはどうするかという課題を混ぜ込んだ時に、意志の手綱を握ることは必要なのだと本書からわかる。全く意志を捨てるのは難しいが、直観的な享楽や贅沢に溺れず、直観に惑わされない思考の時間を持って、認識力と判断力に少しの時間を委ねるのはそれほど難しいことではなさそうである。
2024年3月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
翻訳がとにかくいい。
ペシミストの書いた、幸福論と云うだけで、読む価値はあるかと。
ペシミストの書いた、幸福論と云うだけで、読む価値はあるかと。
2019年2月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小職の様に不学な者が理解して読めるのか、疑心暗鬼でした。読み始めると目がさめるような示唆に富んだ文章が、たくさん記述されていて、はまってしまいました。はるか古の人が哲学している内容も今に生きる人に十二分当てはまるので、起きなさいと言われている感じで元気が出てきます。
2018年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自分が何者かを知ってるかどうかによって決まるとある。複雑に絡み合って本書の内容を理解できるのかもしれない。「意志と表象としての世界」も興味が湧いた。しかし見ることによって興味が惹きつけられることを危惧している。それほど魅力的な本だ。人生が空虚だと感じている人は第六章年齢による違いについてを読むといい。解決はしないが納得する。読んでよかったと思う。
2018年10月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今までにない幸福についての思索が十分に味わえる良書。読みやすく、理解しやすい明確な文章と流れが逸脱。幸福について考えても答えがなかなか出ない人には最高の一冊。
2018年5月23日に日本でレビュー済み
自分にとっては激動を予感させる50代に突入し、しっかり人生を生き切ろうと思っているが、
初めてショーペンハウアーを読んで、幸せなぞ目指すな、苦痛がなければそれでいい、という考え方に触れ、
人生の指針が一つ増えた気がする。
体全体が健康でも、一箇所痛むだけで、そこばかりに注意が行き、他の健康な所には意識がいかないでしょ、
といった指摘は、忘れないでおこうと思う。
人は幸せを感じるために生きている、と今まで思ってきたが、幸せとは、決して享楽的なものではなく、
苦痛がない落ち着いた状態なんだろう。
その域に達するために、人生と戦い、自分を磨きなさい、とショーペンハウアーは言っているのだろうか。
「幸福に対する要求をできるだけつつましくするのが、大きな不幸を逃れる最も確実な方法である。」(p203)
「障害を克服するとき、人間は生を満喫し、障害と戦って勝つことで幸せになる。」(p263 )
「人の行為に腹を立てるのは、行く手に転がっている石に腹を立てるのと同じように愚かしいことだ。」(p275)
ショーペンハウアーをペシミストと捉える人もいるが、自分はそうは思わなかった。
人生戦い、自分を高め、気持ちの落ち着いた状態で人生の集大成をしよう、と改めて奮起できた。
出会えてよかったと思える本でした。
初めてショーペンハウアーを読んで、幸せなぞ目指すな、苦痛がなければそれでいい、という考え方に触れ、
人生の指針が一つ増えた気がする。
体全体が健康でも、一箇所痛むだけで、そこばかりに注意が行き、他の健康な所には意識がいかないでしょ、
といった指摘は、忘れないでおこうと思う。
人は幸せを感じるために生きている、と今まで思ってきたが、幸せとは、決して享楽的なものではなく、
苦痛がない落ち着いた状態なんだろう。
その域に達するために、人生と戦い、自分を磨きなさい、とショーペンハウアーは言っているのだろうか。
「幸福に対する要求をできるだけつつましくするのが、大きな不幸を逃れる最も確実な方法である。」(p203)
「障害を克服するとき、人間は生を満喫し、障害と戦って勝つことで幸せになる。」(p263 )
「人の行為に腹を立てるのは、行く手に転がっている石に腹を立てるのと同じように愚かしいことだ。」(p275)
ショーペンハウアーをペシミストと捉える人もいるが、自分はそうは思わなかった。
人生戦い、自分を高め、気持ちの落ち着いた状態で人生の集大成をしよう、と改めて奮起できた。
出会えてよかったと思える本でした。