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小林秀雄の謎を解く:『考へるヒント』の精神史 (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 2023/10/25

2.9 5つ星のうち2.9 7個の評価

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代表作『本居宣長』へと至る、大いなる「思考の冒険」とは?

気楽に始めた随筆に見えた雑誌連載『考へるヒント』(1959年〜)は、実は徳川思想史探究の跳躍板だった。モーツァルトやベルクソンを論じていた批評家が、伊藤仁斎や荻生徂徠らに傾倒していったのはなぜか? その過程で突き当たった「歴史の穴」とは? ベストセラーを読み直し、人間の知の根源をも探る試みであったことを明らかにする、刺激に満ちた論考。
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「維新革命」への道―「文明」を求めた十九世紀日本― 「維新革命」への道―「文明」を求めた十九世紀日本―
カスタマーレビュー
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価格 ¥1,430 ¥1,980
【新潮選書】苅部直 明治維新で文明開化が始まったのではない。日本の近代は江戸時代に始まっていたのだ。十九世紀の思想史を通観し、「和魂洋才」などの通説を覆す意欲作。 モーツァルト論から徳川思想史へ――批評の達人はなぜ転換したのか。ベストセラー随筆集を大胆に解体し、人文知の可能性を拓く論考。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2023/10/25)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2023/10/25
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 304ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4106039028
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4106039027
  • 寸法 ‏ : ‎ 19.1 x 12.8 x 2 cm
  • カスタマーレビュー:
    2.9 5つ星のうち2.9 7個の評価

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苅部 直
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年3月7日に日本でレビュー済み
小林秀雄の著作を読むのは大好きだが、”小林秀雄論”的なものは駄作が大半で、もう小林秀雄論的なものを読むのは止めようと考えていたが、“『考えるヒント』の精神史”という副題につられて購入した。
私自身、大昔高校生の頃『考えるヒント』を読み感心し、第三次の小林秀雄全集を買い込み、今に至るまで何度も読み返した経緯があるからだ。
本の帯には”批評の達人はなぜ転換を遂げたのか?ベストセラー随筆集を大胆に解体し、人文知の可能性を切り拓く”とある。
うーん。小林はその著作で扱うテーマは折々変わってきているが、”転換を遂げる”なんてことはなかったのではないか?と思いつつ、読み進めても、どう”転換”したかに関して納得いくような説明・記述はまったくない。
この本の中では別に『考えるヒント』を集中的に解読・分析しているわけではない。むしろ、小林の戦前の著作を含めて本居宣長に至るまでの著作に対して色々影響を与えたであろう(かもしれない)過去・同時代の思想家、書物、世相等の動きに関して相当マニアックに調べているところが特徴といえば特徴である。
小林も人間である以上、普通の人と同じく過去の人から学ぶし、同時代の周囲の影響はあろう。ただしその中で自分自身の頭でどう徹底的に考えたのか?強く感じたのか?が常人とはレベルが違うところが魅力なのではないかと思う。
”--の謎を解く”というお題目であればまずそこを掘り下げなければいけないのでないか?
小林が歴史や宣長に向き合い、問いかけているものに、この本の著者は強く共感しているのだろうか?
単に小林のたどった過程を表面的になぞることだけに満足しているのはないか?
そのあたりが全くわからない本である。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2024年2月2日に日本でレビュー済み
何を書いているのか意味がわからない。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年12月26日に日本でレビュー済み
京都のぶぶ漬けの味

 京都の人にぶぶ漬け勧められたのを言葉どおりに受け取って食べ始めれば、きっととこんな味がするだろう。というのが読後感ですが、タイトルやはしがきは単なるキャッチフレーズで、本文を読めば名は体を表してはいないというのが実感です。すでに「無気力 」さん、「KYグッチー 」さんのレビューにある通りでしょう。

 本書のサブタイトル「『考えるヒント』の精神史」にしても、「はじめに」というはしがきでは
「この六十年代という時代の精神史---思想史でも文化史でもいいのだが、小林自身が『時代精神』という言葉を用いていることに合わせて、副題は精神史とした」と書いていますが、
言葉に敏感な批評家ならやりそうもない、実に曖昧な、どうともとれそうな言い訳めいた物言いで、しかも概念の混交があるのは、いただけませんね。本文を読んだ後でもう一度この「はじめに」を読むと、著者の心構えが見えてくるのではないでしょうか。

 『考えるヒント』を被疑者に見立てて、その中の小品中の言葉や同時代の批評家の言葉を尋問して、「黒」の証言を引き出したいけど、被疑者でないものを無理に尋問すれば誘導尋問の非難を浴びるので、巧みに回避して印象程度にとどめている、そんな趣を感じますね。
 タイトルもサブタイトルも諸家の文章を引用するためだけの辻褄合わせじゃないですか、と思わせます。

 読書とはやはり誰にとっても「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る」そういった類の理解しかできないものなのかもしれませんが、「群盲象をなでる」様な批評ばかり集めても肖像画は描けないでしょうからね。

 ☆著者が補足で述べているように、柳田國男との関係については本書では省略するから、郡司勝義「小林秀雄の思い出」を見よとしていること。

 ☆同じく、永藤武「小林秀雄の宗教的魂」をおもしろいと珍しく肉声が聞こえるよう書き方をしていること。

 ★宣長の宗教観を小林秀雄が完全に同意しているという言質がとれないことを気にしている様子であること。

 本文以外にも書かれている、これらが、そう感じた理由です。

「どうして~徳川思想史に焦点を当てていったか」(はじめに)---「徳川思想史」、そんなものを小林秀雄が書いたわけではないのは、愛読者なら誰でも承知しているのではないですか。人を誤読に誘うような、ピンぼけにはしないでもらいたいものです。

秋(昭和25年)「よく晴れた秋の日の午前、二月堂に登って、ぼんやりしていた。~欄干に組んだ両腕の中に、猫のように顎を乗せ、大仏殿の鴟尾の光るのやら、もっと美しく光る銀杏の葉っぱやら、甍の陰影、生駒の山肌、いろんなものを目を細くして眺めていた。
~私が信じているただ一つのものが、どうしてこれぼど脆弱で、かりそめで、果敢なく、又全く未知なものでなければならないか」

「私の信じているただ一つのもの」---「考えるヒント」も「本居宣長」もこの時の感慨を明らかな形にしてゆく道だったのでしょう。

それはもちろん「言葉こそ文化の源」ということですが、本人の言葉で言えば

「我が国の歴史はものの「かしこき」に触れて、直ちに嘆く、その嘆きに始まったという事がすぐに理解される、人間の誕生とは即ち、言語の誕生であると説得される。宣長という人は、歴史とは言葉の歴史に他ならないという事を、はっきり見定めた最初の学者だと言っていい」(新年雑談)
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年10月30日に日本でレビュー済み
最近よく出回っている小林秀雄を論じた本たちと同じく、内容が平板であり、著者の顔はまったく拝めなかった。
ただ、研究としては利口な作品であり、小林秀雄の全集未掲載の文章や、雑誌掲載時の内容など、幅広く、よくお勉強していると思う。

以上の2行でレビュー的には十分と思いましたが、時間があったので贅言を。

ここのところ年に1冊くらいは小林を論じた本が出ており、何となく小林を論じることがある範囲では盛況なんだなぁと思います。
ただ、内容というよりもタイトルを見てみれば、「ドーダ」だの「政治学」だの余計な意匠ばかりが目立ち、中には「悲哀」とまで書いている著者までいる始末です。(こういう本ばかりで読者が可哀想ということでしょうか笑)
お小遣い稼ぎにこういう本を書くのは、まぁ売文家の性であり、また出版社の御意向もあり仕方がないと思いますが、このような本が棚に並ぶのは恥ずかしいものです。
まぁ歪んだ眼鏡で小林を見れば色々な見え方があるのだなぁという意味では、良い症例の研究にはなるかと笑

今回のレビュー対象の本書ですが、まぁ上記の本たちに負けず劣らず、小林秀雄を搦手から攻めるために、あれやこれやと色々と調べるものだなぁと感心しました。
その一方で、個人的には、本書において筆者の顔が、筆者が何を目的にこのような一冊の本を書いたのか最後まで読めなかったのが残念です。

この本で本当に面白いと思えたのは最後の10ページ程度でした。
要するに、付録でついている小林の直の文章2篇だけが本当に楽しめました。
これは、最近では小林の雑誌掲載時の内容だとか、全集未掲載の文書を引用するだけ引用して全体を見せない他の著者とは異なり、全文を掲載していてとても偉いことだと思います。

批判ばかり書きましたが、もちろん、こういう方面からの小林の研究も必要であることは何となく理解はします。
ただ、小林自身が言っている通り、重要なのは「邪念を離れて、古典に推参」するために、「無私を得んとする努力」を行った上で、「他人の作品をダシに自己を語る」というところに尽きるでしょう。
こうした「無私」の私が捕まえたものだけが、本作で述べられているとおり、「欲」ではなく「情」として、みなが共感できる「物」になるのだと思います。

そういう意味では、筆者が岡倉天心が病床の橋本雅邦に肉を一切れ与えた逸話について、「理解しがたい」とするのは、成る程なぁと思われました。
また、この部分が小林がこの逸話についての背景を読者に対して説明をしないのを多少皮肉るような論旨になっているのも無理はないだろうと思います。
これはまぁ付録から引用すれば、この筆者が「順叙も倒叙もしてゐない。ただ外叙してゐる」状況にあるということに尽きるのかなぁと。
もっと言えば、小林「という人の懐にもつと入り込む道」を見つけらなかったのでしょう。
それが、補記の最後に記された「『本居宣長』一冊を通読したかぎりでは、平板な、立体感のない叙述という感想をどうしても抱いてしまう」ということなんだと思います。

まぁ上記については、補記で紹介されている文献たちを見ても明らかでしょう。
そこで紹介されているのは、前述の「ドーダ」や、「政治学」のような本ばかりです。
やはり、若松英輔の『美しい花』は名前すらもあがっていません。
要するに、そういうことなのです笑

小林の語りについて、マウントをとるような形で、結局小林を読めてる自分は・・・みたいな感じで「逆ドーダ」の構造になっている現代の小林に対する批評はいかがなものでしょうか。

最近は、本当に小林を理解できれば、もはや小林を語ることはないのだと思えてきました。
小林について駄文を労するのではなく、ただただ小林の姿勢に習って美しい作品に向かっていくということなのかと。
(徂徠が孔子その人ではなく、あくまでも孔子が学んだ五経に向かったようにというところでしょう)

最後に、本書で明確に誤りがある点について、1点だけ。
第3章のラストで仁斎の書簡にあるという「日本を漢様に仕替へる」という記載について、筆者は伊藤梅宇の『見聞談叢』の話をしていますが、こんなマイナーな本を小林が読むでしょうか?
調べてみれば、ことは単純で、井上哲次郎の『日本古学派之哲学』を読んでみれば、伊藤仁斎の事績を紹介する中で、全く同じ文言が見つかりました。
ただ、これは伊藤仁斎の書簡ではなく、貝原益軒の書簡であるため、小林が誤読したことは間違いないでしょう。(筆者も誤読なので、誤読に誤読で二重誤(二十五)読でしょうか笑)

ついでに言えば、第5章の官学と民間学という枠組みも、『国体の本義』なんて出さなくても、井上哲次郎が『日本陽明学派之哲学』の頭のところにすでに書いているものです。
当然のことながら、『日本陽明学派之哲学』は、中江藤樹の紹介から本論が書き出されていることを申し添えておきます。

それにしても、現代は井上哲次郎の著書がGoogleで無料で読めてしまえるから恐ろしいものです。
ただ、最近は井上の業績はすでに超えられたものとして、見向きもされないのでしょうか?
丸山真男であっても、誰もがこの井上の業績を通して日本の儒学史に接近していったことは常識であると思うので、小林もこの本を参照しているだろうと推測できると思いますが、それに気が付かれない程、井上は遠い存在になったのかなぁと感慨深いものです。
(管見の限りでは、井上を超える業績を日本思想史学において残した人は未だに現れていないし、超えられる気配すら感じられない状況です)

色々と本書に関係なことまで書いてしいましたが、最後に言いたいことは、筆者のあとがきを少しもじった感じにはなってしまいますが、「一冊の本が世に出るということの軽さを、しみじみと思う」というところでしょうか。
21人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年11月4日に日本でレビュー済み
「小林秀雄の謎を解く」というタイトルで、裏表紙の帯には、「小林秀雄と『考えるヒント』の謎」とあって、五つの謎が列記されている。その謎の第一は「大学受験の国語の問題で、なぜ頻繁に使われた?」であり、その第二は「1960年前後の社会の激動との意外な共振とは?」である。以下にも三つの謎が掲げられているが、ここに列記された五つの謎は本文中では謎として扱われているわけではない。本書で謎とされるのは、小林が『考えるヒント』で、なぜ徳川思想史の探求に着手したのかということである。

その謎に対して、結局のところ、明確な解答は与えられない。本書の最後も「一つの問題をめぐって、さまざまな意見を口にしながら「対話」を続けること。この営みを通じて自分と他人の個性も明確に形づくられる。「対話」の過程そのものを楽しむような学知のあり方が、ここには開示されている。「人間的事実」をめぐる探究である人文学において、この「対話」が活発に行われる時には、まさしく人間らしい営みとして「喜び」を生むものだと小林は考えていた。そしてニーチェ風に呼ぶならば、それは徳川時代における「愉しい学問」の実践という、もう一つの伝統の発見だったのである。」(本書256ページ)という段落で終わるのだが、これも何だか唐突な終わり方である。

『考えるヒント』の成り立ちをめぐり、その周辺の事柄を追いかけるうちに、謎にたどり着く前に終わってしまったという印象が強い。その周辺の事柄自体は興味深いので、そこまでの不満はないが、それこそ帯にあった五つの謎は何処にいったのか気になるところである。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2024年2月7日に日本でレビュー済み
読者に有益な情報を提供しようとする意思がない自慢話のようなうんちくが続きました。買う価値はないかと思います。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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